CATEGORY 中世

七王国時代とバイキングの襲来・イングランドの誕生・ノルマン人による征服(ノルマン朝)・プランタジネット朝・ランカスター朝&ヨーク朝

13世紀のヨーロッパの服装【男性編】

このページは、13世紀のヨーロッパの服装【男性編】です。 13世紀ヨーロッパの服装の「概要」および「女性編」は下記リンク先を参照してください。 基本 シャツ、チュニック、サーコート 男性は、シャツ( shirt )の上にチュニック( tunic )もしくはコット( cote / cotte )とサーコートの組み合わせを着用しました。 チュニックの着用例 サーコートの種類と発展 サーコート( sur […]

アングロ-サクソン人の侵入と定着:ローマ撤退後のブリテン島(3)

アングロ-サクソン人は、現在のデンマークや北ドイツやオランダに相当する地域から、北海を南へ渡ってきた人々でした。航海術に長け、過去何年ものあいだに沿岸地域を襲っては、彼らが住まうための土地を要求したり、ときには地元の人々を追い払うこともありました。 サクソン人はさらなる土地を求めて内陸に目を向けます。ブリトン人との抗争は避けられないものになりました。

ケルト的文化や風俗の復活:ローマ撤退後のブリテン島(1)

ローマが撤退した410年以降、旧支配下域はローマの加護を受けられなくなり、混乱の時代を迎えます。この時代の文献はほとんど残っていません。市は崩壊し、建物には石よりも木が作られるようになり、ローマ侵攻以前のケルト的なヒルフォート(Hillfort)が目立つようになりました。

エドワード1世(Edward Longshanks)

エドワード1世は政治力と武勇に長けた人物でした。 議会を開く際、聖職諸侯や世俗諸侯に加えて騎士や庶民の代表を招聘することが多かったため、その初めとされる1295年の議会は、後世「模範議会」として知られることになりました。 このほか、ウェールズを征服してイングランドに併合したこと、息子をウェールズ大公に叙したこと、スコットランドへの侵攻なども、エドワードの治世の重要なできごとです。 いっぽうで愛妻家 […]

リチャード3世(Richard III)

リチャード3世は、ヨーク家の最後の国王であり、プランタジネット朝の最後の国王でもあります。 12歳の甥エドワード5世を廃位し、自身が王位に就きましたが、ボズワースの戦いでヘンリー・テューダーに破れて落命します。 シェイクスピアの作品「リチャード3世」では醜い悪役として描かれ、そのイメージが後世に残されましたが、実態は少し違ったようです。 リチャード3世(Richard III) 治世 1483年6 […]

イングランドのバイキング時代

793年にバイキングの襲撃があったことが「アングロサクソン年代記」に記録されています。バイキングはリンディスファーン修道院を襲い、修道僧を殺し貴重品や金品を奪いました。この襲撃は「バイキングの侵略」の始まりとして位置付けられています。

エゼルレッド(Æthelred the Unready)

エゼルレッドは先々王エドガーの息子で、暗殺された先王エドワードの異母弟です。即位したのは10歳のときでした。 エゼルレッドは北欧人の来襲に対し、筋の通った抵抗を示しませんでした。これがエゼルレッドのニックネーム「unready(準備不足)」の由来である、とよく言われます。じつは古英語でのスペルは少し異なり、意味もかなり違うのですが、残念ながら「unready(準備不足)」がしっくりくる治世となってしまいました。

エドレッド(Eadred)

エドレッドは、エドワード長兄王と三番目の妃の息子です。実兄エドマンド1世をついで王位に就きました。 「北欧人(バイキング)の打倒」は、もはやイングランド王家の宿命ともなっていました。エドレッドは、954年、ノーザンブリアを支配していた北欧系の王エリック(Eric Bloodaxe)の追放に成功しました。エドレッドは胃腸に深刻な病気を抱えており、これが重症化して命を落とします。30代前半であったと考えられ、結婚はしておらず、子供もありませんでした。

エドマンド1世(Edmund I)

エドマンド1世は、異母兄弟にあたる先王アゼルスタンの跡を継いで国王に即位しました。まだ18歳でしたが、すでに2年前、先王に付き従って「ブルナンブルの戦い(Battle of Brunanburh)」にも参戦していました。 エドマンド1世は、北欧系の支配者に奪われていた北イングランド一帯の再征服に成功します。 さらにストラスクライドに進軍し、これを征服します。そうしてストラスクライドとカンブリアをスコットランド王マルカム1世に返還することと引き換えに、自身を上王として認めさせました。

スコットランドのバイキング時代

バイキングの襲撃によって839年にピクト人の王国が陥落、870年にブリトン人の要塞も陥落します。続く300年の間に、ゲール語族、ピクト人、ブリトン人、そしてアングロ人の諸王国が統一され、アルバ王国が始まり最終的にスコットランド王国として発展してゆきます。

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