ジョン(John Lackland)
ジョンは、ヘンリー2世の四男(早世を含めると五男)です。ジョンは、兄リチャード獅子心王の跡を継いでイングランド国王に即位し、フランスにある広大な領土も相続しました。 ジョンは残酷で身勝手で貪欲な国王であったとされ、物語のなかでは、私利私欲のために諸侯に重税を課した悪王として描かれることがほとんどです。実際には「兄王の遠征と身代金が原因の財政難から出発した治世で、困難がおおいなかで王権拡大を志して失 […]
ジョンは、ヘンリー2世の四男(早世を含めると五男)です。ジョンは、兄リチャード獅子心王の跡を継いでイングランド国王に即位し、フランスにある広大な領土も相続しました。 ジョンは残酷で身勝手で貪欲な国王であったとされ、物語のなかでは、私利私欲のために諸侯に重税を課した悪王として描かれることがほとんどです。実際には「兄王の遠征と身代金が原因の財政難から出発した治世で、困難がおおいなかで王権拡大を志して失 […]
このページは、12世紀のヨーロッパの服装【女性編】です。 12世紀ヨーロッパの服装の「概要」および「男性編」は下記リンク先を参照してください。 下着 / 肌着 シュミーズ / スモック 女性の肌着は、シュミーズ( chemise )あるいはスモックと呼ばれるチュニックで、多くの場合リネンでつくられていました。この上に2-3枚の、くるぶし丈のインナーチュニック( gowns/kirtles )を重ね […]
11世紀初頭、デンマーク&ノルウェー王のクヌートがイングランド王を兼ねていました。その支配域から北海帝国とも呼ばれましたが、彼の死後に再び分裂します。イングランドはクヌートの息子が継ぎますが、その死後はアングロ・サクソン系の王が復位しました。この王はエドワード証聖王とよばれます。彼の幼少期にイングランドはデーン人(デンマーク&ノルウェー)の侵略を受けていたため、彼は母方の故郷ノルマンディに亡命し、 […]
貴族階級とは、国王から「公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵」の称号を授けられた人々を指します。ウィリアム征服王がイングランドを征服した時(1066)、イングランドを荘園(マナー / manors)単位に分割しました。これが、のちに男爵領(バロン / barons)として知られるようになります。
エドワード1世は政治力と武勇に長けた人物でした。 議会を開く際、聖職諸侯や世俗諸侯に加えて騎士や庶民の代表を招聘することが多かったため、その初めとされる1295年の議会は、後世「模範議会」として知られることになりました。 このほか、ウェールズを征服してイングランドに併合したこと、息子をウェールズ大公に叙したこと、スコットランドへの侵攻なども、エドワードの治世の重要なできごとです。 いっぽうで愛妻家 […]
エドワード4世はヨーク家出身の最初の国王です。父リチャード( Richard, Duke of York )※の意思をついで、ランカスター王家のヘンリー6世を廃して、王位につきました。 ※父リチャードは1460年の「ウェイクフィールドの戦い( Battle of Wakefield )」の戦いで命を落とした。 ヘンリー6世が復位した時期(およそ半年間)があるため、エドワード4世の在位期間は1461 […]
ウェールズを征服したイングランド国王エドワード1世は、その過程でウェールズに城を建てました。ビューマリス城(Beaumaris Castle)、ハーレック城(Harlech Castle)、コンウィ城(Conwy Castle)、そしてカーナーヴォン城(Caernarfon Castle)などは、エドワード1世によって建てられた城です。 それぞれ一般公開されているので入城できます!このページでは、 […]
リチャード3世は、ヨーク家の最後の国王であり、プランタジネット朝の最後の国王でもあります。 12歳の甥エドワード5世を廃位し、自身が王位に就きましたが、ボズワースの戦いでヘンリー・テューダーに破れて落命します。 シェイクスピアの作品「リチャード3世」では醜い悪役として描かれ、そのイメージが後世に残されましたが、実態は少し違ったようです。 リチャード3世(Richard III) 治世 1483年6 […]
このページは、13世紀のヨーロッパの服装【女性編】です。 13世紀ヨーロッパの服装の「概要」および「男性編」は下記リンク先を参照してください。 基本のスタイル 女性の衣服も男性と同様に比較的質素で控えめでした。くるぶし丈のシャツの上にシクラス( cyclas )または、袖のないサーコートを着用し、ウエスト部分を細めのベルト( belt )で締めました。 富裕層の女性は、こうした衣服やマントに刺繍を […]
父であるエドワード黒太子が祖父王エドワード3世より先に亡くなっていたため、リチャード2世は10歳で即位することになりました。治世の前半は、摂政に代えて設置された評議会が補佐を務めました。 外交においては対仏戦(百年戦争)、内政においては農民一揆や、議会との確執に翻弄される治世でした。親政を開始してからは、平和と秩序を取り戻すべく尽力し一定の効果をあげます。 しかしある時を境に一変し「専制政治」を始 […]
《 本の紹介 》