0.0b. 特集

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8世紀~12世紀初頭のアイルランド

バイキングはダブリンのほかにも町を築き、アイルランドそして西ヨーロッパの経済に影響をあたえるようになります。ブライアン・ボルは、事実上アイルランドを統一したとも言えるでしょう。ディアルマド・マク・マール・ナ・ムボはダブリンをも掌握しアイルランドの覇権はスコットランド沖まで拡大します。トイルデルバフはフランス、スペイン、イングランドの支配者や権力者と政治的および商業的なつながりがあり、アイルランドの存在感を示すとともに交易の発展に貢献しました。

中世初期のスコットランド(5世紀~7世紀)

ローマ人がブリテン諸島から撤退してからのち数百年、現在のスコットランドに相当する地域にはおおきく4つのグループが存在しました。東にピクト人の王国、西にゲール語族の王国、南にブリトン人の王国、南東にアングル人の王国です。また広くキリスト教化されました。

イギリスの摂政時代をざっくり

イギリスには「摂政時代 / リージェンシー」と呼ばれる時代があります。18世紀末~19世紀の初頭で、王朝はハノーヴァー朝(House of Hanover)※にあたります。精神を患った国王ジョージ3世に代わって王太子ジョージ(のちのジョージ4世)が摂政をつとめたことからこのように呼ばれます。 優雅に暮せる人々は優雅に暮らし、奔放な王太子ジョージを筆頭に、お洒落なボー・ブルメルや破天荒な詩人バイロン […]

アングロサクソン時代の文化

ラテン語と古英語 中世のヨーロッパではほとんどの書物がラテン語で書かれていました。しかし、ラテン語を理解できるのは、ほぼ聖職者だけでした。 このようなヨーロッパにおいて、イングランドは少し特異でした。書物に古英語も使われていたのです。古英語は多くのひとの話し言葉でした。 書物の多くは聖職者によって書かれたものだったので、必然的に宗教色の強いものが多くなります。しかし聖職者以外のひとが古英語で書いた […]

貴族(ピアレッジ / Peerage)の序列と成り立ち

貴族階級とは、国王から「公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵」の称号を授けられた人々を指します。ウィリアム征服王がイングランドを征服した時(1066)、イングランドを荘園(マナー / manors)単位に分割しました。これが、のちに男爵領(バロン / barons)として知られるようになります。

18世紀~19世紀の馬車のスピード

有料化によって道路のコンディションが良くなったおかげで、馬車の移動スピードも向上しました。1750年代には平均時速8キロメートルだった乗合馬車が、1790年代には平均時速11キロメートルで走りました。メールコーチが時速24キロメートルで走行した記録もあります。

航海中の船、経度を知るには?ジョン・ハリソンが船用時計を開発

経度は、出発地(Greenwich)と現在地の時刻を比較して求めることができます。現在地の時刻は天体観測から知ることができました。しかし出発地の時刻を知るには、出発地で合わせた時計を止めることなく正確に動かし続けて携帯する必要があります。これが問題でした。振り子時計は、船上では揺れの影響を受けてしまい、正確に動くことができませんでした。ですから、船の上でも正確に時を刻む精巧な時計の開発が求められたのです。

摂政時代のファッション雑誌

摂政時代のファッション雑誌3冊を紹介します。GoogleBooksで多くのページを閲覧することができます。またファッション・パレットとよばれる繊細な色付きの挿絵は、ウィキメディアコモンズで閲覧できます。それぞれ各章にリンクを張っているので楽しんでください!

「ナイルの海戦」ナポレオンの計画をくじく要(かなめ)-フランス革命戦争

「ナイルの海戦」は、フランスとイギリスのあいだで、1798年8月1日に戦われた海戦です。ネルソンが率いる英国の艦隊が、フランス艦隊を駆逐し、ナポレオンの計画を阻止しました。 ナポレオンのエジプト侵攻の目的 ナポレオンはエジプト侵攻を計画していました。目的は「イギリスの貿易ルートを妨害すること」です。またインドのイギリス領に打撃を与えることも考えていました。ナポレオンはエジプト経由でイギリスの敵に援 […]

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