じつは壮大な宮殿(palace)も小さな田舎の邸宅(country house)も、総じて「カントリーハウス」と呼ばれます。共通するのは田舎にあること、そして要塞化されていないことです。
戦争に明け暮れていた世の中が、少し落ち着きを見せ始めたテューダー朝の時代(おおよそ500年前)から、要塞ではない豪邸が建てられるようになりました。これがカントリーハウスのはじまりです。
基本的に要塞化されたものは城(Castle)と呼ばれ、宮殿(Place)とは区別されます。要塞ではないのに城と名付けられたハイクレアキャッスル(Highclere Castle)のような例外もありますが。
1. パワーハウス

パワーハウスとは最も巨大なカントリーハウスのことを言います。もっとわかりやすい言葉があります、宮殿(palace)です。都会に建つ宮殿と、田舎に建つ宮殿があります。田舎に建つ宮殿は、カントリーハウスの一種です。そして、パワーハウスです。
パワーハウスは、時の最大権力者によって建てられました。 共通する特徴としては「仰々しさ(ceremony)」と「壮麗さ(pomp)」が挙げられます。
パワーハウスの豪華な部屋は、最も地位の高いゲストをもてなすためにつかわれました。 「もてなし」ではあるのですが、同時に、確固たる権力が維持できていることをゲストに見せつける目的もありました。
このような豪邸は約500年前から、それまでの要塞や王城(traditional castles of the crown)にとってかわって建てられはじめました。
初期のパワーハウスの代表例は、ハンプトン・コート・パレス(Hampton Court Palace)、そしてバーリーハウス(Burghley House)などです。
巨大な住まいの建築は、18世紀までつづきました。 17世紀の後半から18世紀の中頃にかけての時代が、このような建築の全盛期にあたります。 18世紀のパワーハウスとしては、ハワード城(Castle Howard)、ケドルストンホール(Kedleston Hall)、ホルカムホール(Holkham Hall)などが挙げられます。
これらの建築物は全体がすっかり、時の高名な建築家によって、流行の最先端のスタイルで建てられました。
18世紀から19世紀にかけて、こうしたカントリーハウスは「宮殿」として機能しました。最上階級の人びとがリラックスし、狩猟をたのしみ、週末には同じ階級の人びとと政治を語って過ごしたのです。 劇場が備わっているハウスもありました。
2. マイナーカントリーハウス
このカテゴリに分類されるのは、パワーハウスよりも個々の知名度がひくいカントリーハウスです。パワーハウスと区別するために「マイナー」と冠されますが、おそらくこのカテゴリが、わたし達がイメージする「カントリーハウス」ではないでしょうか。
中世のホールハウスから発展して必要に応じて部屋が追加されたか、もしくは地元の建築家によって新たに建てられた邸宅です。 パワーハウスに比べて規模は小さく、数の上では勝ります。
おもに地主階級によって所有されていました。 こうしたカントリーハウスもまた、その領地の中央として機能しましたが、主人は必ずしも複数のカントリーハウスを所有していたわけではありませんでした。 とくにジェントリ(地主階級)にとっては、しばしば、そこが唯一の住居でした。
20世紀中ごろ、イングランドの探偵小説でカントリーハウスミステリーが人気を博しました。 孤立したカントリーハウスなどを舞台に、しばしば殺人事件が起こるというものです。
3. ビクトリアンハウス

19世紀の産業革命につづいて、第三のカントリーハウスが、新しい富裕層によって建てられました。 実業家や銀行家の多くは、その富を味わって、誇示してみたかったのです。
イングランドが好景気に沸いた1850年代から、リヴァイヴァル建築(リヴァイヴァル建築)スタイルで新たなマンションが建てられ始めました。
この時代のカントリーハウスは、ロスチャイルド家の豪邸群(Rothschild properties in the Home counties)、そしてブレッチリーパーク(Bletchley Park)などに代表されます。
参考
Townhouse (Great Britain)
Engish country house

