18世紀のイギリスはいくつもの戦争に特徴づけられます。とくに対フランス戦です。同時に第一大英帝国と呼ばれるにいたる発展と衰退を経験し、19世紀をまえに第二大英帝国の基盤が築かれました。国内の社会が成長をみせ、経済的にも安定した時代でした。
扉絵:It was commissioned by the de facto first British Prime Minister, Sir Robert Walpole, in 1722, and it is a key building in the history of Palladian architecture in England. It is a Grade I listed building[3] surrounded by 1,000 acres (4.0 km2) of parkland a few miles from Sandringham House. (C)
1702年
ウィリアム3世崩御
ウィリアム3世(オランダ名 Willem III van Oranje-Nassau)が死去し、亡き王妃メアリーの姉妹であるアンが女王になる。
1704年
ブレンハイムの戦い
イングランド・オーストリア同盟軍総司令官のマールバラ公ジョン・チャーチルがフランス軍相手に大勝利した戦い。
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抜粋文:ルイ14世の孫フィリップはスペインの国王として継承権こそ認められましたが、領土という点では、イギリスがおおくの植民地を獲得する結果になりました。ユトレヒト条約は.....
1707年
イングランド王国とスコットランド王国が合併
5月1日、グレートブリテン島全土を統治するグレートブリテン王国が成立した。
1714年
ハノーヴァー朝成立
アン女王が跡継ぎなく死去したため、ステュアート家の血を引くプロテスタントの中で最も近縁にあたる神聖ローマ帝国の選帝侯ゲオルク(Georg)がグレートブリテンの国王のとして迎えられた。
1715年
シェリフミュアの戦い
ステュアート朝の復活を図るジャコバイトが反乱を起こすが、シェリフミュアの戦いで敗北する。
1720年
南海泡沫事件(South Sea Bubble)
投機ブームによる株価の急騰と暴落。
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抜粋文:18世紀は「合資(≒株式)会社」が注目を集めるようになる時代です。投資家は公開市場で株を買い、リスクを負って利益の分け前を得ることができます。エリザベス1世のこ.....
1721年
ロバート・ウォルポールが初代首相となる
オーフォード伯爵ロバート・ウォルポールは南海泡沫事件の後処理を指揮、イギリスが商業国家として躍進する土台を築いた。
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抜粋文:ロバート・ウォルポールはイギリスの"初代"首相とみなされている政治家です。実権を握ったのは1721年~1741年です。ジェントリ階級の出身で.....
1739年
盗賊リチャード・ディック・ターピンがヨークで処刑される
死後に美化して描かれ、小説や演劇、近代では映画にまでなった。
1746年
カロデンの戦い
カロデンの戦いでチャールズ率いるジャコバイトが惨敗する。
チャールズの祖父は名誉革命で王位を逐われたジェームズ2世で、父も生後数ヶ月でイングランドを逐われていた。ローマで生まれたチャールズは父の影響もあってカトリック信仰に入っていた。このため王位奪還が難しくなっていた。ルイ15世や、ブリテンのジャコバイトの助力を得てブリテンに上陸するも、カロデンの戦いでで惨敗し、念願の王位奪還は成らず、大陸へ逃げ帰ることとなった。
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抜粋文:1745年のジャコバイト蜂起はチャールズ・エドワードがおこなった挑戦です。1869年の「名誉革命」で王位を逐われたジェームズ2世はチャールズの祖父にあたります。.....
1756 – 1763年
7年戦争を経てプロイセンとイギリスが力を得る
7年戦争は、ハプスブルク家がオーストリア継承戦争で失ったシュレージエンをプロイセンから奪回しようとしたことに始まる。植民地競争など周辺諸国の諸事情があいまって「ブリテン・プロイセン VS フランス・オーストリア・ロシア・スペイン・スウェーデン等」の構図となり、世界各地で戦争が相次いだ。結果、プロイセンはシュレージエン支配を確定し領土も広げ、イギリスも北米やインドのフランス植民地吸収に成功する。
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抜粋文:1756年から1763年まで続いた七年戦争は、オーストリア継承戦争がのこした未解決の問題から生じました。まず勢力を伸ばしたいプロイセンと、失地( Silesia.....
1765年
東インド会社がベンガルを獲得
東インド会社がベンガルを獲得した。しかし主力商品である茶の売り上げがアメリカ植民地で全く振るわなくなり、ベンガル大飢饉で徴税が困難になるなど、経営が苦しくなる。
1768-1771年
ジェームズ・クックの航海
ジェームズ・クックが、ニュージーランドに上陸した最初のヨーロッパ人となる。また、オーストラリア東海岸を発見し、ボタニー湾に上陸する。
1775-1783年
アメリカ独立戦争
イギリスは国家や、経営が苦しくなっていた東インド会社の財政危機を補うべく、アメリカ移住民への増税を強くしいたり、東インド会社を優遇(茶をアメリカへ輸出するときの関税をなくすなど)したため、アメリカ移住民の強い反感を招いた。なお、当時のアメリカは東海岸周辺のみで、現在の広さに拡大していくのは独立後のこと。
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抜粋文:1764年:砂糖法 / 1765年:印紙法 / 1767年~1768年:タウンゼント諸法 / 1770年:ボストン虐殺事件 / 1772年:ガスピー事件 /.....
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抜粋文:アメリカ革命(独立)戦争は「英領北アメリカの13植民地人」と「国王代理の総督府」の間に生じた亀裂が大きくなった結果の、”内戦”としてはじまりました。1778年に.....
1788年
ジョージ3世が精神疾患を患う
やがて回復するが、再発もし、晩年には認知症も患った。
1789年
フランス革命
フランス国王ルイ16世は1793年に処刑され、イギリスを中心に「対仏大同盟」が結ばれる。
1793年
ブリテンが対フランス戦争に参加
ルイ16世の処刑が実行されると、周辺諸国は革命思想の自国への波及を恐れ、反革命の立場をとる。またナポレオンの台頭でフランスの占領地が拡大したため、フランス革命戦争~ナポレオン戦争と呼ばれる一連の戦争期間、ブリテンを中心とする対仏大同盟がたびたび結ばれた。
1798年
ナイルの海戦
ナイルの海戦でネルソン率いるイギリス艦隊がフランス艦隊に大勝。ナポレオンの計画をくじく意義深い勝利となった。
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抜粋文:「ナイルの海戦」は、フランスとイギリスのあいだで、1798年8月1日に戦われた海戦です。ネルソンが率いる英国の艦隊が、フランス艦隊を駆逐し、ナポレオンの計画を阻.....
1798
ビネガーヒルの戦い
アイルランドの革命家ウルフ・トーンは、プロテスタントとカトリックがともにアイルランド人として団結することを訴え、ユナイテッド・アイリッシュメンを組織して、ブリテンの支配に逆い反乱を起こす。しかしビネガーヒルの戦いで敗北する。