イングランド王ヘンリー2世のアイルランド侵攻

イングランド王ヘンリー2世のアイルランド侵攻

1171年、アイルランドはイングランド王ヘンリー2世の侵攻をうけました。

ヘンリー2世は当初べつの事柄にいそがしく、アイルランドに大きな興味はもっていませんでした。ところがアイルランド島内で生じた王国同士の争いから、ひとりの国王が追放されて、ヘンリー2世に助けを求めます。ここから状況は変わり始めました。

ヘンリー2世は断りこそしなかったものの、このときもまだ乗り気ではありませんでした。そこで追放された国王は、ヘンリー2世の許可を得たうえでノルマン貴族から援軍を募りました。このとき「王位を奪還できたあかつきには、自らの死後の王位を譲る」と、あるノルマン貴族と約束をします。

これが思いがけず、ヘンリー2世を脅かすことになってしまいました。ヘンリー2世は、イングランドのほかにノルマン系の王国が現れることを懸念したのです。

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王国同士の争い

コノート国王に強制追放されたレンスター国王、ノルマン人に支援を求める

12世紀のアイルランドには小王国と比較的大きな王国が割拠し、島全体の支配権をめぐって強力な国王同士が争っていました。

11世紀初頭のアイルランドの主な王国
出典 Wikimedia Commons

1166年に上王となったコノート国王ルアイドリ(Ruaidri mac Tairrdelbach Ua Conchobair / Rory O’Conor)は、レンスター王国の王を強制追放し、自らが同国の王を兼ねました。

※上王…複数の国王のなかで最強とされる王

コング修道院に掘られたルアイドリ(ロリー・オコナー)の顔
出典 Wikimedia Commons

追放された王の名はダーマット・マック・ムルチャダ(Diarmait Mac Murchada / Dermot MacMurrough)です。

Cambrensis’s Expugnatio に描かれたレンスター国王ダーマット
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ダーマットはウェールズに逃れ、そこからイングランド、そしてフランスのアキテーヌ(Aquitaine)に達しました。自国を取り戻すために、イングランド国王ヘンリー2世(Henry II)に支援を仰ぎ、許しを得てノルマン人(Norman)からなる騎士軍を編成しました。

この編成軍には、次の人物が含まれていました。

レンスター国王の援軍が上陸

領土回復に成功したレンスター国王、ノルマン系の娘婿に王位継承を約束

1167年に最初のノルマン騎士軍がアイルランドに上陸し、つづいてノルマン人、ウェールズ人、フランダース人から成る主力の軍が上陸しました。1169年の戦いに苦戦しますが、しかし1170年のリチャード・デ・クレアの到着をもって巻き返しに成功します。いくつかの地域を取り戻したダーマットは、義理の息子にあたるリチャードを自身の王国の後継者として指名しました。

「ダーマットの娘とリチャード・デ・クレアの結婚」
ウォーターフォードの廃墟を背景にドラマッチックな演出を加えて描いた19世紀の画
出典 Wikimedia Commons

イングランド国王ヘンリー2世の介入

ヘンリー2世、ライバルとなり得るノルマン系王国の成立を警戒

しかしダーマットがリチャード・デ・クレアを後継者に指名したことは、思いがけずヘンリー2世を刺激することになってしまいました。ヘンリー2世は、自らのライバルとなり得るノルマン系王国がアイルランドに成立することに恐れを抱いたのです。そこでヘンリー2世は、先に自らの権威をアイルランドに確立しておくことで備えを図りました。

1171年、ヘンリー2世によるアイルランド侵攻

ヘンリー2世は、ローマ教皇ハドリアヌス4世(Adrian IV)の大勅書(Laudabiliter)による「アイルランドに侵攻する権限」を以って、大きな艦隊とともにアイルランドのウォーターフォード(Waterford / Waterford)に上陸しました。ヘンリー2世はアイルランドの土を踏んだ最初のイングランド王となりました。1171年のことです。

レンスターやダブリンを含む東半分は、イングランドのノルマン人の所領となりました。ルアイドリ(ロリー・オコナー)はアイルランドの西半分の上王として認められたものの、イングランド国王を大君主と仰いで貢物を納めることが条件となりました。

1176年にリチャード・デ・クレアが亡くなると、イングランド国王はいっそう強くアイルランドに介入します。ヘンリー2世は1177年に、当時10歳だった末息子のジョン(John Lackland)にアイルランド卿(Dominus Hiberniae / Lord of Ireland)の地位を与えました。

ジョンはヘンリー2世の末息子です。1177年の時点では3人の兄らが存命していました。兄らが亡くなったため、1199年にジョンがイングランド王位を継承し、これによってイングランド王がアイルランド卿を兼ねることになりました。

イングランド人による支配域は徐々に拡大され、1235年にはコナート王国も征服されました。

1300年頃のアイルランド
緑:先住アイルランド人の領域
白:ノルマン人の領域
出典 Wikimedia Commons

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参考
History of Britain and Ireland: The Definitive Visual Guide
History of Ireland
王:Dermot Mac Murrough, King of Leinster Muirchertach o Mac Lochlainn, king of Tír Eoghain

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