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ウィリアム1世(William the Conqueror)
治世 | 1066.12.25 – 1087.9.9(20年259日) |
継承権 | エドワード証聖王からの指名(1052) エドワード証聖王の母方の親戚 イングランド征服による |
生没 | c.1028 – 1087.9.9(59歳) |
家系 | ノルマンディ家(House of Normandy) |
父母 | Robert the Magnificent & Herleva |
結婚 | Matilda of Flanders(1053) |
子供 | Robert II, Duke of Normandy / Richard / Adeliza / Cecilia / William 0II, King of England / Constance, Duchess of Brittany / Adela, Countess of Blois / Henry I, King of England |
埋葬 | ノルマンディのサンテティエンヌ修道院(Saint-Étienne de Caen) |
年表
1066 | ウィリアム率いるノルマン軍が「ヘイスティングスの戦い」でイングランド国王ハロルド2世を破る ハロルドは落命し、ウィリアムはイングランド国王として戴冠 |
1067 | ウィリアム征服王が南西イングランドの反乱を鎮圧 反乱諸侯から取り上げた領土をウィリアムの臣下(ノルマン人)に再分配 ノルマン=フランス語が上流社会(政府)の共通語となる |
1068 | ウィリアム征服王が、エドウィンとモーカーが率いた北部の反乱を制圧(北部の蹂躙/ Harrying the North ) |
1069 | デンマーク王(Swen Estrithson)がハンバー河口からイングランドに上陸 アングロサクソン系諸侯に歓迎されヨークのノルマン人駐屯兵を駆逐 ウィリアム征服王がヨークを再征服 |
1070 | ヘリワード・ザ・ウェイク(Hereward the Wake)の反乱 |
1071 | ウィリアム征服王がヘリワードの反乱(アングロサクソン人の最後の反乱)を鎮圧 |
1072 | ウィリアム征服王がスコットランドに侵攻し、マルカム3世(Malcolm III)を服従させる |
1073 | フランスのメーヌ(Maine)で起きた反乱を鎮圧 |
1078 | ロンドン塔の建設を開始 |
1079 | ウィンチェスターにノルマン聖堂(Norman Cathedral)の建設を開始 |
1079 | ウィリアム征服王の長男ロバートがノルマンディで反乱、父が鎮圧(Gerberoy) |
1085 | ウィリアム征服王がイングランドの大土地調査を命じる |
1086 | ドームズデーブックが完成 |
1087 | フランスの都市マントで落馬し、のちに死去 |
おもなできごと
ウィリアムは、フランスのノルマンディ公爵
ウィリアムはフランスのノルマンディ公爵家に私生児として生まれ、1035年に公爵位を相続しました。ノルマンディ家の祖先は北欧バイキングですが、この頃にはすっかりフランスに定着してフランス人化していました。
エドワード証聖王が亡くなると、ウィリアムはノルマンディからイングランドに渡り、自身の王位継承を主張しました。
ウィリアムの王位継承の主張は次の通りです:
「エドワード証聖王が生前にウィリアムに王位を継承することを約束しており、ウェセックス伯ハロルドもこれを了承してウィリアムの支援を誓っていた」
なお、ウィリアムとエドワードは、エドワードの母方を通じて親戚でもあります。エドワード証聖王は戴冠前、ノルマンディで亡命生活を送っており、ここに2人の接点がありました。
ウィリアム征服王の生い立ち
私生児でありながら若くして公爵位を継承したウィリアムには、フランスに多くの敵がいました。そのうちのひとりは同公爵位を争って反乱を起こしたブルゴーニュのガイ(Guy of Burgundy)です。これに対抗すべく、ウィリアムはフランス国王アンリ1世と同盟して、ガイを討ち(Battle of Val-ès-Dunes)、ノルマンディ支配を盤石なものにしました。
しかしウィリアムの権力が増すにしたがいフランス国王アンリ1世が不安をおぼえはじめます。アルク伯(Count of Arques)が反乱を起こした際には、アンリ1世は反乱を支援する側にまわりました。それにもかかわらずウィリアムは、アルク伯の城(Château d’Arques-la-Bataille)を落としてこれを降参させます。
ついにアンリ1世は、アンジュー伯ジョフロワと結んでノルマンディに侵攻を試みました。しかしこちらもウィリアムの勝利に終わりました(Battle of Varaville)。
フランス内でこのような勝利をおさめ続けたウィリアムが、1066年、イングランドに上陸したのです。
ヘイスティングスの戦いに勝利して戴冠
1066年10月、ウィリアムは「ヘイスティングスの戦い(Battle of Hastings)」でハロルドを破り、同年のクリスマスにウェストミンスター寺院でイングランド国王として戴冠しました。
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城の建設
イングランドを制圧する手段のひとつとして、ウィリアム征服王は各地に城を建設しました。これらはおもに「モット・アンド・ベイリー」と呼ばれる木造の城で、短時間で建設でき、熟練工を必要としない利点がありました。当時の大陸では一般的な築城方法でしたが、イングランドの人びとにとっては新しいものでした。
ウィリアム征服王の臣下たちが各地の城に配属され、管轄の地域を見張りました。折を見つつ、城の建材が石に置き換えられてゆきました。
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反乱の鎮圧
イングランド南部と西部の制圧は順調でしたが、北部では反乱が起きました。これに対してウィリアム征服王は、反乱に関与したかを問わず人々を虐殺し、土地を焼き払い、作物が実らないよう塩を撒くという非情な手段をもちいました(Harrying of the North)。この結果、ヨーク(York)からダラム(Durham)にかけての広大な地域が、数世紀のあいだ過疎地となりました。
封建制度の強化とドームズデーブック
ウィリアム征服王は、イングランドの封建制度を強化し完成させました。アングロサクソン社会では広大な地域ごとに頂点となる領主が存在しましたが、ウィリアム征服王はイングランド全土を国王の所有としたうえで諸侯に封土として再分配しました。また諸侯のほとんどが、アングロサクソン人からノルマン人に入れ替えられました。
このようなことから、かつてない「大征服」であると位置づけられています。(クヌート大王などデンマーク系の王が君臨した時代でさえ、それは単に国王だけが入れ替わったにすぎないものでした。)
ウィリアムは聖職者の任命権を保持し、高位聖職者も徐々にノルマン人に入れ替わりました。聖職者は教養のある人々で、地方を管理するうえで欠かせませんでした。
ウィリアムは教会と世俗の法廷を分離しました。司教たちには彼らの法廷(社会)が与えられ、世俗の法は独自に発展できるようになりました。
ウィリアム征服王は、1085年にイングランドの大土地調査を命じます。イングランドの資源を知り、見合った税金を漏れなく課して、軍事資金を調達することが目的です。調査結果を詳細に記した本を「ドームズデーブック(Domesday Book)」と呼びます。
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落馬が原因で亡くなる
ウィリアム征服王は、59歳のときフランスのルーアンで亡くなります。フランスの都市マント(Mantes)の包囲戦で落馬し負傷したことが原因といわれています。遺体はノルマンディのサンテティエンヌ修道院に埋葬され、イングランド王位は息子のウィリアム(2世)が継承し、ノルマンディ公爵位は長男ロバートが継承しました。
地図
1066年の主な戦場
ロンドン塔
ロンドン市内の東部、テムズ川の北岸に建つロンドン塔(White tower)は、ウィリアム征服王が命じて石造りのキープを建設したのが始まりです。ローマ時代の市壁(London wall)の南東の端に位置しています。次代の国王ウィリアム2世の時代に一旦完成し、12世紀に大きく拡張され、その後も増改築や修復がなされて、今日にいたっています。
参考
Kings and Queens of England & Britain
William the Conqueror
William I
William I
William the Conqueror’s Castles