エドワード証聖王(Edward the Confessor)

エドワード証聖王(Edward the Confessor)
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エドワード証聖王(Edward the Confessor

治世1042 – 1066 (23年212日)
継承権エゼルレッドの息子
生没c.1003 – 1066 (63歳)
家系ウェセックス家(house of Wesex
父母Æthelred the Unready & Emma of Normandy
結婚Edith of Wessex
子供
埋葬Westminster Abbey,
エドワード証聖王(Edward the Confessor)

おもなできごと

かつてデンマーク王子のクヌートがイングランドに侵攻してこれを征服したとき、エドワードはフランスのノルマンディに亡命しました。クヌートが亡くなりハーデクヌーズの治世になってから、エドワードはイングランドに戻りました。

ハーデクヌーズが子供のないまま24歳の若さで急逝したため、エドワードが王位を継ぐことになります。これは、クヌートの侵攻以来はじめてのウェセックス王家の復位でした。

エドワード証聖王のおいたち

エドワードの父は5代前のイングランド王エゼルレッドです。父から王位を継いだ兄エドマンド(2世)は、1016年、デンマーク王子クヌートとの戦いに破れました。この結果、イングランド王位がデンマーク家へ移ることになりました。ウェセックス王家の人びとは国外へ散り散りに亡命し、エドワードは母の故郷フランスのノルマンディへ逃れました。

ただし未亡人となっていた母エマは、クヌートと再婚し、ここに子供も生まれています。先王ハーデクヌーズはそのひとりです。クヌートが亡くなり、ハーデクヌーズがイングランドを治めるようになると、エドワードは亡命先から呼び戻されました。母エマが望んだためと推測されています。

ノルマンディで四半世紀を過ごしてきたエドワードは、即位すると、廷臣や高位の聖職にノルマンディの人びとを就任させ、身の安全をはかりました。イングランドではクヌートの時代に台頭したウェセックス伯ゴドウィン家が、政治的な権力を握っていました。

エドワードは敬虔なクリスチャンで、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)を建て直したことで有名です。寺院が完成したのは1065年12月で、残念ながらエドワード証聖王の身体は弱りきっており、訪れることができないまま翌年に亡くなりました。

ウェストミンスター寺院

ロンドンの都市部から離れたテムズ川沿いに、かつての国王エドガー(r.959-975)が小さなベネディクト修道院を建てていました。この傍に宮廷を設け、修道院を再建したのがエドワード証聖王です。東のミンスター(St Paul’s Cathedral)と区別するため”ウェスト”ミンスターと呼ばれるようになりました。現在見られる建物はおもに13世紀~16世紀の建築ですが、チャプターハウスの地下(Pyx Chamber)などに当時の建築が遺っています。

minster …特に際立つ教会に付される敬称のようなもの。修道院付属の教会堂や大聖堂。

公式サイト:Westminster Abbey: A royal church
開館日時と料金:Entry times and opening hours
所在地:20 Deans Yd, London SW1P 3PA, United Kingdom

エドワード証聖王には子供がいなかったため、王位継承争いがおこりました。最初に王位についたのはウェセックス伯 ゴドウィン 家のハロルドですが、最終的な勝利者はノルマンディ公爵ウィリアムです。ノルマンディ公爵ウィリアムの勝利は「ノルマンコンクエスト(1066)」として知られ、イングランド史の最も重要な転換期となります。

年表

1042エドワードの異弟ハーデクヌーズが急逝
ウェセックス家のエドワードが王位を継承
1043マーシア伯レオフリック(Leofric, Earl of Mercia)がコヴェントリーに修道院を建立
1045エドワード証聖王がウェセックス ゴドウィン 家の娘エディス(Edith)と結婚
1051ウェセックス伯家とエドワード証聖王の対立
エドワード証聖王がウェセックス伯ゴドウィン らを追放
ノルマンディ公ウィリアムに王位継承を約束したとされる(ウィリアムの主張)
1052ウェセックス伯家が帰国
1053ウェセックス伯ゴドウィン が死去
同伯爵家の息子ハロルドが国王のアドバイザーとなり政治的実権を握る
1056グリフィズ・アプ・リウェリン率いるウェールズ軍がイングランドを攻撃、ヘレフォード大聖堂(Hereford Cathedral)が焼かれる
1057エドマンド2世の息子エドワード(ウェセックス家筋)が亡命先から帰国
王位継承者となる可能性があったが、すぐに死去
1063ウェセックス伯ハロルドとノーザンブリア伯トスティグがウェールズを攻撃
グリフィズ・アプ・リウェリンは味方の兵に殺害される
1064ウェセックス伯ハロルドがフランスに渡りノルマンディ公ウィリアムと面会
ウィリアムの王位継承を支援することを約束したとされる(ウィリアムの主張)
1065ノーザンブリアの人々が反乱を起こし同伯トスティグは亡命
トスティグと兄ハロルドの関係が悪化
1066エドワード証聖王死去
ウェセックス伯ハロルドが王位を継承
ノルマンディ公ウィリアムが王位継承を主張してイングランドに侵攻し、ハロルドを破る
エドワード証聖王(Edward the Confessor)

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参考
Kings and Queens of England & Britain
Edward (the Confessor)
Edward the Confessor
History of Westminster Abbey

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