ハーデクヌーズ(Harthacnut / Hardicanute)
       

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ハーデクヌーズ(Harthacnut / Hardicanute)

治世1040 – 1042 (2年84日)
継承権クヌート大王の息子
生没1018 – 1042 (24歳)
家系デンマーク(House of Denmark
父母Cnut the Great & Emma of Normandy
結婚
子供
埋葬Lambeth, England
イングランド国王:ハーデクヌーズ

年表

1040ハロルドが急逝し、異母弟のデンマーク王ハーデクヌーズがイングランド王位を継承
1042ハーデクヌーズが急逝
年表:イングランド国王ハーデクヌーズ

おもなできごと

ハーデクヌーズは、クヌート大王と正妃エマの間に生まれました。

イングランドとデンマークとノルウェーを支配下においていた父クヌート大王は、1035年に亡くなりました。しかしこれらの国々をハーデクヌーズが一括して継承することはできませんでした。

ハーデクヌーズはデンマーク王位を継承しますが、ノルウェーには旧来の王家が復位しました。ハーデクヌーズが北欧での攻防戦に忙しくしている間に、異母兄(非嫡出子)のハロルドがイングランド王位に就きました。

そこで1040年、ハーデクヌーズは、イングランド王位を請求してイングランドに侵攻する計画を立てます。しかしイングランドに到着する直前に、ハロルドが急死しました。24歳の若さでした。イングランドに上陸したハーデクヌーズは、すぐさま、新国王としてイングランドの人びとに受け入れられました。

しかし1042年、ハーデクヌーズもまた急逝します。おなじく24歳でした。彼はデーン系の最後の王となりました。つぎに即位したのはハーデクヌーズの異兄にあたるエドワード証聖王です。

宴会の席で倒れたハーデクヌーズの死因

1042年7月8日、ハーデクヌーズはランベス(Lambeth)で行われた廷臣の結婚式の最中に急逝しました。新郎はトヴィ・プラウド(Tovi the Proud)といい、南イングランドに領土をもつデーン系の有力な従士(thegn)でした。新婦はギサ(Gytha)という名で、廷臣オスゴッド・クラパ(Osgod Clapa)の娘でした。

ハーデクヌーズは花嫁の健康を願って乾杯し、”酒を飲みながら亡くなった”と伝えられています。ハーデクヌーズは酒を飲んでいる途中で地面に倒れ、ひどく痙攣し、言葉を発しないままだったといいます。アルコールの過剰摂取による急死ではないか、と推測されています。

いっぽうで、暗殺説をとなえる歴史家もいます。ハーデクヌーズが亡くなって、つぎの王位に就いたのはエドワード証聖王です。エドワードと対立した義理の父ウェセックス伯は、のちにエドワードとの会食の直後に亡くなりました。この二人の死に、エドワード証聖王が関わっていたとする説があります。しかし犯人となりうる人物は他にも多くいました。犯人こそわからないものの、暗殺の可能性は否定できないとされています。


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参考
Harthacnut
Kings and Queens of England & Britain
Harthacanut

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