このページは、中世(前期)のヨーロッパの服装【男性編】です。おおよそ400年~1100年頃を想定しています。
中世(前期)ヨーロッパの服装の「概要」および「女性編」は下記リンク先を参照してください。
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チュニック
単純なカットの四角い布地
衣服の主流はチュニック( tunic )でした。四角い布地に首を通す穴を設け、サイドに袖を縫い付けるという単純な造りです。
富裕層が着るチェニックは丈が長く、色鮮やかで高品質な布が、その豊かさを象徴していました。素材はシルクや、シルクで縁取られた布でした。農民や兵士のチュニックは膝丈もしくは膝上丈でした。
革製もしくは丈夫な布製のベルトでウエスト部を締めました。
ローマ時代
ローマ時代のシンプルなチュニックの例です。
11世紀
一般人と、重装備の兵の例です。長靴下(ホース)を着用していますが、このタイプのホースは12世紀以降のものかもしれません。
ボトムス
ブレイズ、 クロスガータリング 、ホース
天候によっては、仕立てられたブレイズ( braies )も着用されました。ゆるい股引のような肌着です。
また布片を脚に巻き付けて着用するタイプのレギンスも一般的で、これを革紐などで固定しました。このスタイルはクロスガータリング (cross-gartering) と呼ばれます。ブレイズとセットで着用することが多かったようです。
緩い靴下のようなホース(hose)が着用されることもありました。
YouTube How to dress as the Saxon Fyrd
抜粋文:クロスガータリングの例

左:ブレイズ
出典 Wikimedia Commons
外套
クローク、マント、saie
冬には外套として、またフォーマルな装いとして、クローク( cloaks )もしくはマント( mantle )が着用されました。フランク人は、saie と呼ばれる短いケープを羽織りました。
こうした外套は、肩のあたりでブローチで留められました。ブローチの形は、大陸では当初ピン型で時代がくだると丸形に変わりました。アングロサクソン人のブローチは当初から丸形だったようです。アイルランドやスコットランドではケルト風ブローチ( Celtic brooch )が一般的でした。

出典 Wikimedia Commons
どの地域においても、ブローチは宝飾品の一種であり上流階級だけのものでした。有名なタラのブローチ( Tara Brooch )も、ハンターストンブローチ( Hunterston )も最上級品と思われます。
かぶり物
カッパ、シャペロン、麦帽子
カッパもしくはシャペロン( chaperon )は、ケープとフードが一体になったかぶり物です。寒い冬に着用されました。
ローマ風の麦帽子は夏の畑仕事で着用され、中世を通じて一般的になったことから、侵入してきた民族の間にも広がったものと考えられます。
靴
ターンシュー
靴はターンシュー( turnshoe )と呼ばれるスタイルのものが着用されました。靴底に牛皮が使われ、甲には柔らかい皮革が用いられました。
ただし貧民の間では靴を履くことは一般的ではありませんでした。

出典 Wikimedia Commons
中世前期の「戦士」の装備
アングロサクソン騎士(7世紀)
アングロ・サクソンは、4世紀末~5世紀にかけてイングランドに侵入/移住/流入し、同地に定着したゲルマン系民族の一派です。
ノルマン兵(11世紀)
ノルマン人は、フランス国王と交渉の上で10世紀初頭からフランス北部に定着していた元北欧バイキングです。11世紀にはすっかりフランス化していました。
1066年、ノルマンディ公爵ウィリアムはイングランドの王位争いに参戦して勝利し国王となったのち、イングランドの上流階級をノルマン人に据え替えました。
中世前期の「バイキング」の服装
一般男性(8~11世紀頃)
参考文献
- Early medieval European dress
- last edited on 17 December 2022, at 10:19 (UTC)


