リチャード獅子心王(Richard the Lionheart)
       

リチャードはヘンリー2世の三男です。16歳にして、兵を率いてフランス内の反乱の鎮圧に成功しており、武勇に優れた人物でした。父王の跡を継いでイングランド王になりますが、国王としてイングランドに暮らしたのは半年に満たず、その治世のほとんどを国外で過ごしました。

イングランドで徴収される諸税はおもにリチャードの軍事遠征に使われました。リチャードは第三回十字軍に参加し、その帰路で捕虜となり、莫大な身代金を支払うためにイングランドでも徴税されました。

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リチャード獅子心王(Richard the Lionheart

リチャード獅子心王
出典 Wikimedia Commons
治世1189年9月3日-1199年4月6日(9年216日)
継承権ヘンリー2世の長男(生存している中で)
生没1157年9月8日:場所 Beaumont Palace
1199年4月6日(戦死 / 41歳):場所 Châlus
家系プランタジネット家(アンジュー伯家)
父母Henry IIEleanor of Aquitaine
結婚Berengaria of Navarre(1191年)
子供
埋葬Fontevraud Abbey(フランスのアンジュー)
イングランド国王
リチャード獅子心王

年表

1189ヘンリー2世の跡を継いで息子のリチャードがイングランド王位に就く
1189ウィリアム・ロンシャン(William Longchamp)が尚書部長官( Chancellor of England )に任じられ、国王不在のイングランドを治める
1189リチャードが、フランス国王フィリップ2世(Philip II of France)と共に第三回十字軍(Third Crusade)に加わり聖地奪回の遠征に出発
1191ウィリアム・ロンシャンが失脚し、王弟ジョンが政権を握る
1191リチャードが、アッコ、パレスチナ、アルスフ(Arsuf)を掌握
1192エルサレムの奪回は成らなかったものの、巡礼者の安全の約束をとりつける
1192パレスチナからイングランドへの帰路、リチャードが捕縛され神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世の捕虜となる(身代金:100,000マルク)
1193(現在知られている限りで)最初の商人ギルドが創設される
1194イングランドでも身代金支払いのために徴税を行い、リチャードの解放に至る
1195リチャードは一時イングランドに戻ったのち、フランス内での戦争のため、ふたたびイングランドを離れる
1196ポンドやヤードなどの単位が制定される(Weights and Measures Acts
1199リチャード、シャリュ(Chalus)の戦いでクロスボウの矢を受けて致命傷を負い死去
イングランド国王
リチャード獅子心王の治世の年表

おもなできごと

優秀な戦士だけど国王としては残念

リチャードはヘンリー2世の三男です。母エレノアから継いだアキテーヌ公領を拠点としており、1170年代にポワトゥー(Poitou)の反乱を鎮圧したこと、また1183年に起こした父への反乱によって、名声を得ていました。

リチャードは1189年にイングランド王位を継承しますが、その治世のうちイングランドに滞在したのは半年に満たない期間でした。また、話せる言語はフランス語だけでした。

イングランド王となったリチャード(1世)は、ウィリアム・ロンシャン(William Longchamp)を尚書部長官(Chancellor)に任命して、不在中のイングランドの管理を任せました。(この隙に弟のジョンが王位を狙います。)

リチャードは、優れたリーダーであり戦士であると評価されており、「獅子心王(The Lion Heart)」のニックネームで知られるようになります。 リチャードは戦士として優秀であったことは間違いないですが、イングランドの国王としてはかなり残念な人物でした。

第三回十字軍遠征に参加

リチャードは聖地エルサレム奪回を志し、1191年にキプロスを獲得して遠征の拠点を築きました。十字軍が勝利したアッコ包囲戦(Siege of Acre)に参加し、軍を率いて敵将と対戦しました。

第三回十字軍(1191-92)において、リチャードはキプロス、アッコ、アルスフ(Arsuf)の戦いを勝利に導きましたが、エルサレムの奪還は成りませんでした。またこの戦闘中に、リチャード1世はオーストリア公レオポルト5世(Leopold V, Duke of Austria)と対立することになります。

莫大な身代金でイングランドが疲弊

遠征先から陸路で帰還する途中でリチャードは、オーストリア公に捕縛されて、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世( Henry VI )に身柄を渡されました。リチャードは、莫大な身代金が支払われるまで捕虜とされました。身代金を支払うために諸侯に税が課せられ、イングランドの諸侯も例外ではありませんでした。

フランスで死去

解放されたリチャードは、弟ジョンが政権を握っていたイングランドに一時的に戻りますが、その後すぐフランスに戻って戦争をし、1199年の籠城戦の際に死亡します。クロスボウ( crossbow )の矢を受けたことが原因でした。子供はおらず、王位は弟のジョンが継ぎました。

地図

父母から継承した領土

アンジュー帝国(赤系のエリア)
出典 Wikimedia Commons

リチャード獅子心王が、母エレノアと父ヘンリーから継承した領土です。

シャリュ城

リチャード獅子心王が落命した城です。

ルーアン大聖堂

リチャード獅子心王の心臓を安置している教会です。

おまけ

ロビン・フッドの冒険(Robin of Sherwood)

‘Robin of Sherwood: Michael Praed’ HD trailer
BY Network Distributing

中世イングランドの伝説的英雄ロビン・フッドとその仲間たちの活躍を描いたフィクションドラマです。

ロビン・フッドの物語は、たいてい「リチャード王と王弟ジョンの治世下にあるイングランド」が舞台となっており、ロビン・フッドは「弓の名手で、イギリスのノッティンガムのシャーウッドの森に住むアウトロー集団の首領で義賊」という設定です。

このような設定は比較的新しいもので、19世紀頃に広まったといわれています。

ロビン・フッドの物語は古来から吟遊詩人たちによって語られてきた話がまとめられたものですが、モデルとなった人物には様々の説があり、またその人物が生きていた時代も様々です。


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参考
Kings and Queens of England & Britain
Richard_I_of_England
Richard the Lionheart, King John, and the Magna Carta
King Richard I The Lion Heart (1189 – 1199)
A Really Useful Guide to Kings and Queens of England
物語イギリスの歴史

ヘンリー2世(Henry Curtmantle)
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フランスのアンジュー伯家に生まれてイングランド王になったヘンリー(2世)は、パワフルな王で、優秀な戦士でもありました。イングランドの裁判システムを強化したり、軍.....
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