「ヨーロッパいちの紳士( First Gentleman of Europe )」としても知られるジョージ4世は、芸術や建築の良き保護者でした。しかし、私生活は奔放で、めちゃくちゃでした。
1785年、王太子だったジョージは、ある未亡人女性( Maria Fitzherbert )と秘密裏に結婚しました。しかし夫人がカトリック教徒であったことなどから、この結婚は無効とされました。1795年にキャロライン( Caroline of Brunswick )を妃として迎え、一人娘を授かりますが、夫婦仲は最悪でした。一人娘のシャーロットは、父に先立ち亡くなりました。
ジョージ4世は機知に富んだ人物と見なされていますが、いっぽうで、下品なお調子者と評するひとたちもおり、彼の死を歓迎した人々もいたようです。
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ジョージ4世(George Augustus Frederick)
治世 | 1820年1月29日-1830年6月26日(10年149日) |
継承権 | ジョージ3世の息子 |
生没 | 1762年8月12日:St James’s Palace 1830年6月26日(歳):Windsor Castle |
家系 | ハノーヴァー家(Hanover) |
父母 | George III Charlotte of Mecklenburg-Strelitz |
結婚 | Caroline of Brunswick-Wolfenbüttel(1795年) |
子供 | Princess Charlotte of Wales |
埋葬 | St George’s Chapel, Windsor Castle |
年表
1820 | 9年の摂政時代を経て、ジョージ3世の息子ジョージが4世として即位 |
内閣メンバ暗殺未遂事件:( Cato Street Conspiracy ) | |
ジョージ4世の離婚未遂:ジョージ4世が、妃キャロラインの不貞を理由に離婚を試みるが失敗 | |
1821 | キャサリン妃、ジョージ4世の戴冠式で除外される |
マイケル・ファラデーによる電磁気学の実験:(Michael Faraday) | |
1822 | チャールズ・バベッジが階差機関を再発明:( Charles Babbage、 difference engine ) |
1823 | ロンドンに王立音楽アカデミーが設立:( Royal Academy of Music ) |
大英博物館の拡張と増設:( British Museum ) | |
ラグビーのはじまり:ラグビー校の生徒ウィリアムが、サッカー中にボールを拾い上げて持って走り「ラグビー」が発明される( William Web Ellis ) | |
1824 | ロンドンにナショナルギャラリーがオープン:( National Gallery ) |
1825 | ナッシュがバッキンガム宮殿を再建:( Buckingham Palace ) |
1825 | ジョージ・スチーブンソンが蒸気機関車「ロコモーション1号」を製作:( George Stephenson、Locomotion No.1 ) |
1828 | ウェリントン公爵が首相に就任:( Duke of Wellington ) |
1829 | ロバート・ピールによってロンドン警視庁が設立:( Robert Peel、Metropolitan Police Force ) |
ローマ・カトリック信徒救済法:カトリック教徒が議員になることを許可( Catholic Relief Act ) | |
1830 | ジョージ4世、ウィンザー城で崩御:67歳 |
おもなできごと
ジョージ4世は、「グレートブリテン王国およびアイルランド」の王位と「ハノーヴァー」の王位を、父ジョージ3世から継承しました。
父ジョージ3世が精神を患ったため、その治世の末期約9年を、ジョージ4世は摂政王太子として勤めました。
ジョージ4世は、ジョージ3世の長子
ジョージ4世は、ジョージ3世と妃シャーロット( Charlotte of Mecklenburg-Strelitz )の長子です。ジョージの贅沢で奔放な生活は、摂政時代( Regency era )の流行を牽引し、また新しい時代の娯楽・様式・趣向のパトロンともなりました。例えば、次のような事柄にお金を費やしました:
- ジョン・ナッシュ( John Nash )の設計によるロイヤルパビリオン( Royal Pavilion )の建設やバッキンガム宮殿の再設計
- ジェフリー・ワイアットビル( Jeffry Wyatville )に、ウィンザー城(Windsor Castle)の増改築を委託
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両親および妃との不仲
ジョージ4世のふしだらとも受け取られる暮らしぶり、そして両親および妃との仲の悪さは、人々の軽蔑を招き、国王としての威信をゆるがすことになりました。
ジョージ4世の妃は、ドイツのブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家出身のキャロライン( Caroline of Brunswick )です。夫婦仲は悪く、ジョージ4世は自身の戴冠式において、妃キャロラインの同席を拒みました( Exclusion of Caroline )。さらに、離婚を成立させる目的で「苦痛と罰則の法案( Pains and Penalties Bill )」の導入を政府に求めました。これは貴族院でギリギリの賛同が得られたものの、世の中に与える不安が大きいことから、結局は否決され、失敗に終わりました。
贅沢、我がまま、無責任
1815年からおよそ100年間は、イギリス帝国が世界的な覇権国家となった時代です。とても輝かしい時代でしたが、ジョージ4世の治世はスキャンダルや浪費にまみれていました。大臣たちはジョージ4世の態度を見て、贅沢で我がままで無責任だと感じ、また取り巻きの影響を受けやすい人物だと感じていました。
リバプール伯爵
摂政時代および即位後の治世の大部分において首相を務めたのは、リバプール伯爵( Robert Jenkinson )です。ナポレオン戦争に最終勝利をおさめ、フランスとの和平交渉がおこなわれたのは、リバプール伯爵の任期中のことでした。
カトリック救済法
リバプール伯爵の引退後、ジョージ4世は、カトリック救済法( Catholic emancipation )の導入を認めざるを得なくなりました。この法案を進めたのは、ロバート・ピール( Sir Robert Peel )およびウェリントン公爵( Duke of Wellington )です。
弟のウィリアム4世に王位継承
ジョージ4世と妃キャロラインの間には、シャーロット王女( Princess Charlotte )が産まれていました。しかしシャーロットは、1817年に、ジョージ4世に先立って亡くなりました。このため、1820年にジョージ4世が亡くなると、王位は弟のウィリアム4世( King William IV )に継がれました。
地図
ロイヤルパビリオン
ロイヤルパビリオンは、ジョージ4世が摂政王太子だった時代に、ブライトンの海辺に別荘として建てられた離宮です。当初は小規模でシンプルな建物でしたが、後に大幅に増築されました。インド・イスラム風の外観と中国風の内装を持つ、独特な佇まいの宮殿です。
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参考文献
- A Brief History of British Kings & Queens
- Robinson; UK ed.版 (2014/3/27)
- Kings and Queens of England & Britain
- by Ben Johnson | Historic UK Ltd. Company
- George IV
- Wikipedia | edited on 17 September 2022, at 21:25 (UTC)
- George IV King of United Kingdom
- By The Editors of Encyclopaedia Britannica | Updated: Aug 8, 2022
- King George IV (1820 – 1830)
- Britroyals | British Royal Family History