摂政 / リージェンシー時代のファッション業界は、社会的地位をあらわす重要性から、やはり上流社会の影響を大きく受けました。
摂政 / リージェンシー 時代の女性のドレス
総裁 / エンパイア / リージェンシー スタイルと呼ばれるシルエット
18世紀末から19世紀初頭にかけて流行したスタイルを「総裁スタイル」または「エンパイアスタイル」あるいは「リージェンシースタイル」などと呼びます。胸のすぐ下で絞ってバストを支え、スカートをながすスタイルです。
名称はそれぞれ、フランスの「総裁政府(French Directory)」「第一帝政(First French Empire)」そしてイギリスの「(広義の)摂政時代(Regency era)」に由来しています。
女性のドレスは、かつてのものよりも軽く取り扱いが容易になりました。1780年代から1790年代のはじめにかけて、女性のドレスのシルエットはより細く、ウエストラインはより高い位置にむかいました。1795年以降のウエストラインは劇的に高くなり、スカートの外周はさらに細くなります。
時代背景
ドレスのシルエットが劇的に変化した理由
かつての重厚な裾広のドレスから身体にそったシンプルなドレスへと、流行はとても大きく変化したのです。なぜでしょう。その背景には、この時代のさまざまな出来事が関係していると考えられています。
- 革命が起きたフランスで、アンシャン・レジームとそのスタイル(硬いコルセットと鮮やかな色のサテンと重い飾り類)に対する拒否反応が起きたこと
- イギリスの田園地方で女性がアウトドア用に着ていた服がフランスの”ハイファッション”に採り入れられたこと
- 古代ギリシャなどの”共和制”と関連してファッションにも「新古典主義」が採り入れられたこと
- ポンペイ(Pompeii)やヘルクラネウム(Herculaneum)の発見と発掘が新古典主義を後押ししたこと
- ナポリ在住のイギリス人女優エマ・ハミルトン(Emma Hamilton)が1790年代初頭に披露したパフォーマンスと衣装(á la grecque)の影響
- フランスのテミドール革命のあと、獄中の簡素なドレスの影響でモスリンのシフトドレス(shift dress / chemise dress)がポピュラーになったとする説もある
アンシャン・レジーム…フランス革命以前のブルボン朝(16~18世紀の絶対王政期のフランス)の社会・政治体制をさす。
エマ・ハミルトンのアティテュード…ギリシャ神話など古典的な題材を、ポーズや踊りや演技を織り交ぜて表現する見せ物。
新古典主義…古代ギリシャ芸術を模範とした思潮(Neoclassical fashion)。
ウエスト位置の高さが決め手、エンパイアスタイル
1790年代の後半、フランスの上流社会に暮らす流行に敏感な女性が古典的なスタイルを採り入れました。1800年を迎える頃には、この「新古典」スタイルがヨーロッパに広がり後20年ほど続くことになります。このシンプルなスタイルは妊娠中や授乳中の女性にとっても快適でした。
ナポレオンの妻ジョゼフィーヌに倣うイギリス人女性たち
”新しい自然なスタイル”は、身体の”自然な”美しさを際立させました。このスタイルでは、きれいな「白」が社会的地位の高さのあらわれです。
ジョゼフィーヌ・ボナパルト(Josephine Bonaparte)は、エンパイアスタイルの導き手のひとりです。手の込んだ装飾を施したエンパイアラインのドレスを着用していました。
イギリスの女性はこのエンパイアスタイルに倣い、ウエストラインを高くするフレンチスタイルも採り入れました。ナポレオン率いるフランスとは戦争中でしたが、ファッションの世界は別だったようです。リボンやサシュ、その他の装飾でウエストラインを際立たせました。
ウエストラインはその後少しずつ下がり始め、1821年頃には自然な高さに戻りました。
下着、上着、ガウン…
ドレスのなかに下着(undergarments)、外にはガウン(gowns)や上着(outerwear)を重ね着しました。シミーズ(chemise)が、この時代の一般的な下着でした。薄い紗のドレスから身体が透けないように着用します。上着は、スペンサー(spencer)やペリーズ(pelisse)が人気でした。
エンパイアガウンは低いネックラインと短い袖のもので、よくイブニングドレスのうえに着用されました。いっぽうでデイガウンのネックラインは高く長い袖でした。
動画:ドレスの構造をわかりやすく
次の動画では、下着からコルセット、ドレス、ガウン、アウターまで、エンパイアドレスを実際に着る様子を、解説付きで見ることができます。
参考
1795–1820 in Western fashion