イギリスの18世紀は、有料道路の開通の全盛期です。
かつて(17世紀)のイギリスの道は、穴だらけでした。深い穴に水がたまっていることもあり、足がずぶ濡れになることも珍しくありませんでした。道路の修理は、一般的には個々の小教区の責任だったので道路が修理されずに放置されることがよくあったのです。
17世紀後半には「道路の有料区間」が導入されました。徴収した料金で道路を拡張したり修理したりします。18世紀のあいだにイギリスの道には多くの有料区間が設けられ、コンディションがよくなりました。
イギリスの18世紀は有料道路の全盛期
穴だらけの道を修繕するのは民間の「有料道路トラスト団体」
これまでの穴だらけ泥だらけの道に比べて、修繕された有料道路は快適でした。旅人や商人は「有料」の「価値」を認めはじめました。
道路のコンディションがよくなると、馬に背負わせる荷物の量を増やすこともできます。18世紀の終わりには、馬は1頭あたり 3,000kg 以上の荷を運んだそうです。
有料道路の運営と管理は民間団体に信託されました。ターンパイクトラスト(turnpike trusts)といいます。なかには運営に失敗する団体もありました。交通量と収入と修繕費の見積もりが甘かったのです。
1689年~1729年までの間に「有料道路法(turnpike Acts)」と総称される81の法案が議会を通過して、道路に有料区間が設けられ、運営はターンパイクトラストに信託されました。1730年頃には、ロンドンから郊外へ続く主要道路のほとんどが有料道路になり、1729年には、アイルランドにも有料道路が導入されました。
有料道路に反対する人々
有料道路に設置されたマイルストーンや、料金所のゲートを破壊
有料道路に反対する人々もでてきました。18世紀末から19世紀前半にかけて、とくにウェールズでおおきな問題になりました。
過去の何世紀にもわたって、地元の道を自由に往来して生計を立てていた人々は、有料システムが導入されることに憤りを覚えました。有料道路に設置されたマイルストーンや、料金所のゲートを破壊する人々があらわれます。
1839年、ミッドウェールズ(Mid Wales)で「レベッカ・リオット」として知られる反乱が起きました。50人~100人の集団があちこちで暴力的な破壊行為を行い、料金所の番人にも「抵抗すれば殺す」と言って、脅しました。
有料道路の衰退
蒸気機関車の登場で、有料道路は19世紀後半から衰退
19世紀にはいると、陸路の移動手段に革命がおこります。鉄道を走る蒸気機関車の登場です。鉄道が敷かれた地域をはしっていた道路は利用者が大はばに減りました。
ウォリントン(Warrington)とロワーアーラム(Lower Irlam)を結ぶ有料道路
- 1829年の徴収額:£1,680
- 1830年に鉄道(Liverpool and Manchester Railway)が開通
- 1834年の徴収額: £332
ボルトン(Bolton)とブラックバーン(Blackburn)を結ぶ有料道路
- 1846年の徴収額:£3,998
- 1846年に鉄道(Bolton and Blackburn)が開通
- 1847年の徴収額:£3,077
- 1849年の徴収額:£1,185
1888年の地方政府法によって道路は群の管理下に
1888年に地方政府法(Local Government Act 1888)が可決されます。カウンシル(county councils)やバラ(county borough)と呼ばれる行政区が設けられて、道路の管理は個々の行政区が責任を負うことになりました。
参考
A Brief History of Britain 1660 – 1851: The Making of the Nation
Key dates in Land, Road, Building Great Britain 1200 – 1899
turnpike trusts