エドマンド1世(Edmund I)

エドマンド1世(Edmund I)
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エドマンド1世(Edmund I

エドマンド1世
出典 Wikimedia Commons
治世939年 – 946年 (6年212日)
継承権エドワード長兄王の息子
生没c.921年 – 946年 (25歳)
家系ウェセックス家(house of Wesex
父母Edward the Elder & Eadgifu of Kent
結婚Ælfgifu of Shaftesbury(ー)
Æthelflæd of Damerham(944)
子供Eadwig / Edgar the Peaceful
埋葬Glastonbury Abbey, Glastonbury, Somerset (廃墟)
エドマンド1世(939-946)

おもなできごと

エドマンド1世は、異母兄弟にあたる先王アゼルスタンの跡を継いで国王に即位しました。まだ18歳でしたが、すでに2年前、先王に付き従って「ブルナンブルの戦い(Battle of Brunanburh)」にも参戦していました。

エドマンド1世は、北欧系の支配者に奪われていた北イングランド一帯の再征服に成功します。

バイキング王オラフ3世の侵攻

エドマンド1世は即位してすぐ、オラフ3世(Olaf Guthfrithson)による侵攻の危機に直面していました。オラフ3世はノーザンブリアとアイルランドのダブリンを支配していたデーン系の支配者です。オラフ3世はヨークを掌握し、ここからミッドランドに侵攻しました。

エドマンド1世は、レスター(Leicester)でオラフ3世を捕えることに成功し、交渉に持ち込みます。この交渉により、つぎの条件が整いました。

  • オラフ3世はワットリングストリート(Watling Street)より北の支配権を確保する
  • ただしエドマンドを上王(overlord)として認める
ワットリングストリート
出典 Wikimedia Commons

これに加えて「両者のうち長生きした者が他方の支配域を継承して、イングランド全土に君臨する」という決め事も行われました。

もし、エドマンドが先に亡くなっていたなら、イングランドの歴史は変わっていたことでしょう。この条約の1年後にオラフ3世が亡くなり、これを受けてエドマンド1世はすぐさまマーシアとノーザンブリアの奪回に乗り出し、失地の回復を果たしました。

エドマンド1世はさらにストラスクライドに進軍し、これを征服します。そうしてストラスクライドとカンブリアをスコットランド王マルカム1世に返還することと引き換えに、自身を上王として認めさせました。

※これによって、理論上はブリテン島のほぼ全域がエドマンドの支配下ということになるが、実質的にはおおむね現在のイングランドに相当する地域だけ彼の支配域となった

聖アウグスティンの祝祭の日、バースに近いパックルチャーチ(Pucklechurch)の広間で、アゼルスタンは強盗に刺されて亡くなります。まだ25歳でした。2人の息子がありましたが、王位を継承するには若すぎるとみなされたようです。

地図

940年頃のウェセックス(=イングランド)の領域
出典 Wikimedia Commons

年表

939エドマンド1世の即位
ノーザンブリアから来た北欧人が東ミッドランドを占拠
942エドマンド1世が、ノーザンブリアを再征服しイングランドに併合
943エドマンド1世が支配域をスコットランド南部まで拡大
945ダンスタン(Dunstan)がグロチェスター修道院の修道院長になる
945エドマンド1世がストラスクライド(Strathclyde)を征服
946エドマンド1世がパックルチャーチで殺害される
エドマンド1世(939-946)

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参考
Edmund I
KingsQueensofBritain
Edmund
Edmund the Magnificent

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