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エドガー(Edgar the Peaceful)

エドガーはエドマンド1世の息子で、先王エドウィの実弟です。959年に全イングランドの王として即位したとき19歳でした。エドガーがイングランド王として即位したのは959年ですが、戴冠式はバース(bath)で973年に行われました。この戴冠式は、治世の開始を示すよりむしろ治世の絶頂を示すものとして、ダンスタンによって慎重に計画されたものでした。

チャールズ1世(Charles I)

チャールズ1世はジェームス6世/1世※の息子です。王権神授説を信じ、議会との関係を難しくしました。事態は悪化の一途をたどり、1642年に始まるイングランド内戦(ピューリタン革命)に発展します。 王党派は、議会派のニューモデル軍に敗戦しました。チャールズ1世は捕らえられ、投獄され、裁判にかけられました。 議会派のなかには「国王と条件付きの和解を求める人たち」と「国王の処刑を望む人たち」がいました。意 […]

リージェンシー・ファッション(摂政時代の装い)

18世紀末~19世紀初頭 フランス貴族をイメージさせる装いを避ける 18世紀末から19世紀初頭のヨーロッパおよび関連する国々のファッションは、18世紀初頭の重厚なコスチュームから解放されて、かろやかな装いが流行しました。というのもフランス革命のあおりで、フランス貴族のようないでたちで出歩くことを好む人がいなくなったからです。また、かつての衣装は社会的地位に左右されるものでしたが、19世紀を迎えるこ […]

ヘンリー1世(Henry Beauclerc)

イングランド国王になったヘンリー1世は、のちに長兄ロバートとの戦いにも勝利して、ノルマンディ公爵領をも支配下に収めました。ヘンリー1世は勤勉で聡明な王として知られています。嫡男を海難事故で失ったため、娘への王位継承を段取りしますが、その死後に内戦となりました。

エドレッド(Eadred)

エドレッドは、エドワード長兄王と三番目の妃の息子です。実兄エドマンド1世をついで王位に就きました。 「北欧人(バイキング)の打倒」は、もはやイングランド王家の宿命ともなっていました。エドレッドは、954年、ノーザンブリアを支配していた北欧系の王エリック(Eric Bloodaxe)の追放に成功しました。エドレッドは胃腸に深刻な病気を抱えており、これが重症化して命を落とします。30代前半であったと考えられ、結婚はしておらず、子供もありませんでした。

メアリ1世(Mary I of England)

メアリ1世は、ヘンリー8世とアラゴン王女キャサリンの娘です。敬虔なカトリック信者で、スペイン王子(のち国王)フィリップと結婚しました。メアリ1世は、プロテスタント派の弾圧を行い、プロテスタント派の司教らを処刑し、イングランドの再カトリック化を図りました。このため、メアリ1世は「血のメアリ」という異名をもちます。 子供を授かることがなく、異母妹エリザベスに王位を継承しました。 メアリ1世(Mary […]

ジョージ3世(George William Frederick)

ジョージ3世はジョージ2世の孫にあたります。父フレデリックが祖父より先に亡くなっていたため、祖父ジョージ2世が亡くなると王位を継承しました。ジョージ3世は、アン女王以来の、イギリス生まれの国王です。 ジョージ3世の治世は、優雅な文化が花開いた時代であると同時に、国際的な軍事紛争に特徴づけられる時代でもありました。 作家ジェーン・オースティンやシェリー、詩人バイロン、ジョン・キーツ、ウィリアム・ワー […]

エドウィ(Eadwig)

エドウィはエドマンド1世の長男です。先王エドレッドの甥にあたります。即位したのは16歳のときでした。 4年に満たないエドウィの治世は、諸侯や高位聖職者との争いが絶えないものでした。エドウィは、社会に大きな影響力をもっていた司教ダンスタン(Dunstan)を追放してしまったため、好ましく思われませんでした。エドウィは、20歳で亡くなります。亡くなった時の状況について、記録はないそうです。クヌートに殺害されたとする説がありますが定かではありません。

13世紀のヨーロッパの服装【男性編】

このページは、13世紀のヨーロッパの服装【男性編】です。 13世紀ヨーロッパの服装の「概要」および「女性編」は下記リンク先を参照してください。 基本 シャツ、チュニック、サーコート 男性は、シャツ( shirt )の上にチュニック( tunic )もしくはコット( cote / cotte )とサーコートの組み合わせを着用しました。 チュニックの着用例 サーコートの種類と発展 サーコート( sur […]

18世紀~19世紀の陸路

これまでの穴だらけ泥だらけの道に比べて、修繕された有料道路は快適でした。旅人や商人は「有料」の「価値」を認めはじめました。 道路のコンディションがよくなると、馬に背負わせる荷物の量を増やすこともできます。18世紀の終わりには、馬は1頭あたり 3,000kg 以上の荷を運んだそうです。 有料道路の運営と管理は民間団体に信託されました。ターンパイクトラスト(turnpike trusts)といいます。

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