なご トオ子

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社会階級‐19世紀初頭のイギリス

摂政時代 / リージェンシー(18世紀末~19世紀初頭)の社会の序列構造について書きます。国王を頂点として、支配者層には王族と貴族階級そして地主階級が続きます。「ミドルクラス」という階層は1832年以降に使われ始めました。しかしその実態は19世紀の初頭から存在していました。全人口のもっとも多くを占めていたのは…

19世紀のイギリス(年表式)

19世紀のイギリスは産業革命によって大きく変化しました。19世紀はじめの国勢調査では全人口の2割だけが都市部に暮らしていましたが、中ごろには全人口の半数が都市部へ移り、20世紀が近づくころには3分の2が都市部へ移住していました。当初は農業が中心の社会でしたが、後半になるにつれ工業が一般的になりました。職人の手で作られていた品物は、機械で造られるようになりました。 扉絵:Victorian Scho […]

産業革命の幕開け-ジョン・ケイが発明した「飛び杼」

18世紀も半ばになると、新しい手法が開発・導入され、イギリスそしてヨーロッパに広がります。この変化の過程で「工業化」が進みました。ある町や市に専用の工場が集約され、工業都市と呼ばれるようになります。1733年、ジョン・キー(John Kay)によって飛び杼(Flying shuttle)が発明されました。これは従来の手織り機に改良をくわえたもので、格段に効率があがりました。また一人で操作できるため、少ない労働者で生産できるようになりました。

18世紀イギリス領アメリカのボストンで、兵士が大衆に発砲した事件

民間人と揉め事を起こしたひとりの護衛官が助けを求め、プレストン大尉率いる数人の兵士が援護に駆け付けました。見物に集まった大衆は兵士に雪玉や石を投げ、さらには大尉を棍棒で殴る者まであらわれました。大尉は発砲を命じませんでしたが、驚いた兵士らが発砲し始めました。弾は11人に当たり、3人は即死、8人が重軽傷を負い、このうち2人は怪我がもとで後ほど亡くなりました。

エドレッド(Eadred)

エドレッドは、エドワード長兄王と三番目の妃の息子です。実兄エドマンド1世をついで王位に就きました。 「北欧人(バイキング)の打倒」は、もはやイングランド王家の宿命ともなっていました。エドレッドは、954年、ノーザンブリアを支配していた北欧系の王エリック(Eric Bloodaxe)の追放に成功しました。エドレッドは胃腸に深刻な病気を抱えており、これが重症化して命を落とします。30代前半であったと考えられ、結婚はしておらず、子供もありませんでした。

ボストン茶会事件:「茶法」とはどんな法で何が問題だったのか

「ボストン茶会事件」は、急進派の植民地人による「茶法」への抵抗、ひいてはイギリス議会への抵抗運動です。茶葉は「イギリス東インド会社」から輸入される予定のものでしたが、北アメリカの植民地人は茶葉の荷下ろしを拒絶しました。ボストンでは、40トンの茶葉が海に投げ捨てられました。「茶法」とはどんな法なのか、そして何が問題だったのか、まとめました。

エドガー(Edgar the Peaceful)

エドガーはエドマンド1世の息子で、先王エドウィの実弟です。959年に全イングランドの王として即位したとき19歳でした。エドガーがイングランド王として即位したのは959年ですが、戴冠式はバース(bath)で973年に行われました。この戴冠式は、治世の開始を示すよりむしろ治世の絶頂を示すものとして、ダンスタンによって慎重に計画されたものでした。

ジョージ3世(George William Frederick)

ジョージ3世はジョージ2世の孫にあたります。父フレデリックが祖父より先に亡くなっていたため、祖父ジョージ2世が亡くなると王位を継承しました。ジョージ3世は、アン女王以来の、イギリス生まれの国王です。 ジョージ3世の治世は、優雅な文化が花開いた時代であると同時に、国際的な軍事紛争に特徴づけられる時代でもありました。 作家ジェーン・オースティンやシェリー、詩人バイロン、ジョン・キーツ、ウィリアム・ワー […]

カントリーハウス【ロンドン近郊編】

このページは、カントリーハウス【ロンドン近郊 編】です。 バッキンガム宮殿 Buckingham Palace バッキンガム宮殿は、19世紀初頭のリージェンシー(摂政)時代の面影を色濃く残す建造物のひとつです。建築家ジョン・ナッシュは、ジョージ4世のために莫大な費用を惜しみなく使いました。 バッキンガム宮殿には775の部屋があります。公式行事に使われる大広間は、8月9月および冬と春の特別日に一般公 […]

[詳しく]5世紀のイギリス

ローマ帝国は4世紀末に東西に分裂しました。西ローマ帝国は、外敵の侵入を防ぎきれず疲弊してゆきました。5世紀初頭、イギリス(ブリタンニア)に派遣されていた軍がひと仕事終えて撤退すると、ブリタンニアは弱体化しました。 5世紀のイギリスの主な出来事は次のとおりです。 ローマからの派遣軍がブリテン島を去る ブリタンニアの将軍コンスタンティヌスが皇帝を僭称し、軍をひきつれて大陸に渡るも敗戦 ブリトン人がロー […]

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