なご トオ子

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19世紀のイギリス(年表式)

19世紀のイギリスは産業革命によって大きく変化しました。19世紀はじめの国勢調査では全人口の2割だけが都市部に暮らしていましたが、中ごろには全人口の半数が都市部へ移り、20世紀が近づくころには3分の2が都市部へ移住していました。当初は農業が中心の社会でしたが、後半になるにつれ工業が一般的になりました。職人の手で作られていた品物は、機械で造られるようになりました。 扉絵:Victorian Scho […]

ノルマンコンクエスト: イングランド完全征服までの道のり

ヘイスティングスの戦いに勝利したノルマンディ公ウィリアムは、イングランド国王として戴冠しました。 王位を狙う主なライバルこそいなくなったものの、ウィリアムの支配に対する反乱がイングランド各地で起こりました。ウィリアムはこの制圧に数年を費やすことになります。 ウィリアムがイングランド国王としての地位を確実なものにできたのは、主な反乱の鎮圧を終えた1072年です。ウィリアムは、反乱を起こしたイングラン […]

ハロルド・ゴドウィンソン(Harold Godwinson)

1066年、子供のないエドワード証聖王が、死の間際に、ハロルドに王位継承を告げたとされています。賢人会議もハロルドを国王に選出しました。北部でノルウェー軍を討ったハロルドは、ウィリアムを討つべく南部へ引き返しますが「ヘイスティングスの戦い(Battle Of Hastings)」に破れ、命を落としました。44歳、治世は282日でした。

18世紀のイギリス(年表式)

18世紀のイギリスはいくつもの戦争に特徴づけられます。とくに対フランス戦です。同時に第一大英帝国と呼ばれるにいたる発展と衰退を経験し、19世紀をまえに第二大英帝国の基盤が築かれました。国内の社会が成長をみせ、経済的にも安定した時代でした。 扉絵:It was commissioned by the de facto first British Prime Minister, Sir Robert […]

12世紀のヨーロッパの服装【男性編】

このページは、12世紀のヨーロッパの服装【男性編】です。 12世紀ヨーロッパの服装の「概要」および「女性編」は下記リンク先を参照してください。 下着 / 肌着 チェニックとブレイズの組み合わせ 下着/肌着は、インナーチェニックまたはタイトな長袖のシャツおよび、猿股のようなパンツ( drawers/braies/ブレイズ )で構成されました。布地はリネンであることが多かったようです。 長靴下 ショー […]

ヘンリー2世(Henry Curtmantle)

フランスのアンジュー伯家に生まれてイングランド王になったヘンリー(2世)は、パワフルな王で、優秀な戦士でもありました。イングランドの裁判システムを強化したり、軍役代納金(scutage / 軍役に代えて貨幣を治める・税)の徴収額を上げるなどしました。フランスでも領土を拡大し「アンジュー帝国※」とも呼ばれる広大な領地を治めました。 またヘンリー2世は、カンタベリー大司教トマス・ベケットとの対立と、そ […]

メアリ1世(Mary I of England)

メアリ1世は、ヘンリー8世とアラゴン王女キャサリンの娘です。敬虔なカトリック信者で、スペイン王子(のち国王)フィリップと結婚しました。メアリ1世は、プロテスタント派の弾圧を行い、プロテスタント派の司教らを処刑し、イングランドの再カトリック化を図りました。このため、メアリ1世は「血のメアリ」という異名をもちます。 子供を授かることがなく、異母妹エリザベスに王位を継承しました。 メアリ1世(Mary […]

ヘンリー7世(Henry VII)

ヘンリー7世は、ウェールズのテューダー家出身の国王です。ランカスター傍系の母方を通じて、イングランド王エドワード3世の血を引いており、「ボズワースの戦い」でリチャード3世を討って王位に就きました。 ヘンリー7世の治世の始まりは、中世の終わり/近世の始まりとして位置づけられています。 婚姻を通じてイングランド内のヨーク派とランカスター派の融合を図り、ばら戦争に終止符を打ちました。両家の紋章を掛け合わ […]

アーサー王伝説が生まれた経緯:ローマ撤退後のブリテン島(2)

アーサー王は実在した王でしょうか。おそらく実在はせず、民間伝承から創作された架空の王だとするのが現在の歴史家による一般的な見解です。では、アーサー王の伝説はどのようにして生まれ、語り継がれてきたのでしょうか。現存する文献のなかで、アーサーの名が登場するもっとも古いものは9世紀の”歴史書”です。12世紀の”列王史”にさらに詳しく書かれ、すぐにアーサー王ロマンスとして物語化され、中世文学の核となりました。

ジョージ2世(George Augustus)

ジョージ2世は、ジョージ1世の唯一の嫡男です。父ジョージよりは、イギリス人らしいアイデンティティを備えていましたが、政治についてはやはり、ロバート・ウォルポールに依存せざるをえない状況でした。 ジョージ2世は1743年の「デッティンゲンの戦い」に参戦しました。歴代のイングランド国王のなかで、軍を率いて自らが参戦した最後の例です。 1745年には、ステュアート家を支持するジャコバイトが、チャールズ若 […]

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