C.1 政治・経済

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エドワード殉教王(Edward the Martyr)

エドワードは、12-13歳で即位しました。エドワードは先王エドガーの長男でしたが、父王からは継承者としての指名はなく、異母弟エゼルレッド(Æthelred)と王位を争ったとされています。 エドワードは、カンタベリー大司教ダンスタン(Dunstan)およびヨーク司教オズワルド(Oswald)によって戴冠されました。しかし978年、およそ16歳のエドワードは、コーフ城(Corfe Castle)で暗殺されます。

エドワード2世(Edward of Caernarfon)

エドワード2世は、エドワード1世の息子です。カーナーヴォン城で生まれ、1301年にウェールズ大公に叙されました。ピアス・ギャベストンをはじめとする取り巻きの影響を受けやすく、無能で軽薄と評されることが多い国王です。 対スコットランド戦では「バンノックバーンの戦い」で大敗します。スコットランドは勢いを得て、独立につながりました。 治世を通して諸侯の反感を買いつづけたため、王権の縮小や、議会の発展に、 […]

エルフウェルド(Ælfweard of Wessex)

父王(エドワード長兄王)が没して間もなく、エルフウェルドもなくなりました。父王とおなじウィンチェスターに埋葬されたと『アングロサクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)』に記されています。王位に就いたことは明示されていません。しかし12世紀に編纂された『Textus Roffensis』には、エルフウェルドが国王としてリストアップされているそうです。治世は4週間です。 王位に就いた期間があったかどうか、歴史家のあいだで見解が分かれています。

エドウィ(Eadwig)

エドウィはエドマンド1世の長男です。先王エドレッドの甥にあたります。即位したのは16歳のときでした。 4年に満たないエドウィの治世は、諸侯や高位聖職者との争いが絶えないものでした。エドウィは、社会に大きな影響力をもっていた司教ダンスタン(Dunstan)を追放してしまったため、好ましく思われませんでした。エドウィは、20歳で亡くなります。亡くなった時の状況について、記録はないそうです。クヌートに殺害されたとする説がありますが定かではありません。

「七年戦争」を経てイギリスは植民地帝国へ

1756年から1763年まで続いた七年戦争は、オーストリア継承戦争がのこした未解決の問題から生じました。まず勢力を伸ばしたいプロイセンと、失地( Silesia )の回復を求めるオーストリアが衝突します。それぞれをイギリスとフランスが援護して、両大国の覇権争いに発展します。

アメリカ独立への序章「砂糖法」

1764年4月5日、「砂糖法案」がイギリスの議会を通過しました。当時、フランス領およびオランダ領の西インド諸島(カリブ海)から北米のイギリス領へ、砂糖と糖蜜の密輸貿易が行われていました。これを終わらせるために設けられたのが「砂糖法(Sugar Act)」です。イギリス政府は収入源の確保も必要でした。フレンチ・インディアン戦争の戦費をまかなうたため借金(公債)が嵩んでいたのです。アメリカの植民地人にとって不快だったのは、商船の取り締まりの厳しさでした。

18世紀のイギリス(年表式)

18世紀のイギリスはいくつもの戦争に特徴づけられます。とくに対フランス戦です。同時に第一大英帝国と呼ばれるにいたる発展と衰退を経験し、19世紀をまえに第二大英帝国の基盤が築かれました。国内の社会が成長をみせ、経済的にも安定した時代でした。 扉絵:It was commissioned by the de facto first British Prime Minister, Sir Robert […]

[詳しく]先史時代のブリテン島

イギリスの先史時代とは、人類の渡来~紀元43年のローマ軍侵攻(ローマ皇帝クラディウスのブリタンニア遠征)までを指します。 狩猟採集を主とする生活が行われていた中石器時(c. 9,000 – 4,300 BC)、海面の上昇にともなって、大陸と陸続きだったブリテンが切り離されて島になりました。農耕と牧畜を中心とする生活に変る新石器時代(c. 4,300 – 2,000 BC)か […]

ヘンリー2世(Henry Curtmantle)

フランスのアンジュー伯家に生まれてイングランド王になったヘンリー(2世)は、パワフルな王で、優秀な戦士でもありました。イングランドの裁判システムを強化したり、軍役代納金(scutage / 軍役に代えて貨幣を治める・税)の徴収額を上げるなどしました。フランスでも領土を拡大し「アンジュー帝国※」とも呼ばれる広大な領地を治めました。 またヘンリー2世は、カンタベリー大司教トマス・ベケットとの対立と、そ […]

アングロサクソン七王国時代:七王国のなりたち

ローマンブリティシュ人が住んでいた4世紀ころから、ケントは度重なる海からの攻撃にさらされてきました。そこでどうやら、ゲルマン語を話す異民族が傭兵として招き入れられて、この地域に住み始めたようです。410年にローマ支配が終わると、さらに新たなゲルマン語系の民族集団がこの地に移住してきました。最初に定着したのはジュート人で、東ケントに王国を築きました。

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《 本の紹介 》

イギリス近世・近代史と議会制統治 15世紀末から19世紀前半の英国議会の動きを専門家が多角的に分析

ハンドブックヨーロッパ外交史:ウェストファリアからブレグジットまで いち早く産業革命に成功して世界中を支配し、今日も世界政治を左右するヨーロッパ諸国は、いかなる外交を展開してきたのか。

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イギリス革命と変容する〈宗教〉: 異端論争の政治文化史 王権、議会、教会、そして知識人から民衆まで、相互に織りなす目まぐるしい政治変動は、当事者たちの意図を超えて〈宗教〉概念そのものの文化的前提を根本から揺るがし、人々の生活と心性を変容させていく。

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