なご トオ子

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ハロルド・ゴドウィンソン(Harold Godwinson)

1066年、子供のないエドワード証聖王が、死の間際に、ハロルドに王位継承を告げたとされています。賢人会議もハロルドを国王に選出しました。北部でノルウェー軍を討ったハロルドは、ウィリアムを討つべく南部へ引き返しますが「ヘイスティングスの戦い(Battle Of Hastings)」に破れ、命を落としました。44歳、治世は282日でした。

中世後期のイギリス(年表式)11世紀・12世紀・13世紀・14世紀・15世紀

11世紀初頭、デンマーク&ノルウェー王のクヌートがイングランド王を兼ねていました。その支配域から北海帝国とも呼ばれましたが、彼の死後に再び分裂します。イングランドはクヌートの息子が継ぎますが、その死後はアングロ・サクソン系の王が復位しました。この王はエドワード証聖王とよばれます。彼の幼少期にイングランドはデーン人(デンマーク&ノルウェー)の侵略を受けていたため、彼は母方の故郷ノルマンディに亡命し、 […]

中世初期のスコットランド(5世紀~7世紀)

ローマ人がブリテン諸島から撤退してからのち数百年、現在のスコットランドに相当する地域にはおおきく4つのグループが存在しました。東にピクト人の王国、西にゲール語族の王国、南にブリトン人の王国、南東にアングル人の王国です。また広くキリスト教化されました。

エリザベス1世(The Virgin Queen)

ヘンリー8世と2番目の妃アン・ブーリンの娘として産まれたのがエリザベスです。教養に長けた賢明な女性であったとされています。国民からの人気も高く、有能なアドバイザーを選定する能力がありました。 エリザベス1世の治世は「黄金時代」「エリザベス朝時代」とも呼ばれます。海軍および冒険家のドレイク、ローリー、ホーキンスや、政治についてはセシル父子、最後には反逆罪で処刑されるエセックス伯らが活躍しました。無敵 […]

アングロ-サクソン人の侵入と定着:ローマ撤退後のブリテン島(3)

アングロ-サクソン人は、現在のデンマークや北ドイツやオランダに相当する地域から、北海を南へ渡ってきた人々でした。航海術に長け、過去何年ものあいだに沿岸地域を襲っては、彼らが住まうための土地を要求したり、ときには地元の人々を追い払うこともありました。 サクソン人はさらなる土地を求めて内陸に目を向けます。ブリトン人との抗争は避けられないものになりました。

18世紀のイギリス(年表式)

18世紀のイギリスはいくつもの戦争に特徴づけられます。とくに対フランス戦です。同時に第一大英帝国と呼ばれるにいたる発展と衰退を経験し、19世紀をまえに第二大英帝国の基盤が築かれました。国内の社会が成長をみせ、経済的にも安定した時代でした。 扉絵:It was commissioned by the de facto first British Prime Minister, Sir Robert […]

ヘンリー4世(Henry of Bolingbroke)

ヘンリー4世は、エドワード3世の三男ランカスター公爵の息子です。プランタジネット本家のリチャード2世を廃して即位しました。その治世は、各地で勃発する反乱に翻弄されます。晩年は病をわずらい、ウェストミンスター修道院で祈りをささげている最中に発作がおきて亡くなりました。 ヘンリー4世(Henry of Bolingbroke) 治世 1399年9月30日-1413年3月20日(13年172日) 継承権 […]

ヘンリー3世(Henry of Winchester)

ヘンリー3世は、第一次バロン戦争の最中に、9歳でイングランド国王に即位しました。僧侶によって育てられ、敬虔なキリスト教信者となり、芸術や学術、建築に傾倒しました。ゴシック様式でウェストミンスター修道院の再建を命じたのもヘンリー3世です。聖職者や妃の影響を受けやすい意志薄弱な人物だったと評されることがあります。 治世の後半に、第二次バロン戦争が勃発し、戦に負けて捕らわれの身となりました。その間に権力 […]

エドワード1世(Edward Longshanks)

エドワード1世は政治力と武勇に長けた人物でした。 議会を開く際、聖職諸侯や世俗諸侯に加えて騎士や庶民の代表を招聘することが多かったため、その初めとされる1295年の議会は、後世「模範議会」として知られることになりました。 このほか、ウェールズを征服してイングランドに併合したこと、息子をウェールズ大公に叙したこと、スコットランドへの侵攻なども、エドワードの治世の重要なできごとです。 いっぽうで愛妻家 […]

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