イギリス躍進の起点「スペイン継承戦争」
ルイ14世の孫フィリップはスペインの国王として継承権こそ認められましたが、領土という点では、イギリスがおおくの植民地を獲得する結果になりました。ユトレヒト条約は、イギリスが植民地帝国として躍進する重要な起点とみられています。いっぽうでフランスとスペインは結果的に、イギリス躍進の犠牲となったのです。
ルイ14世の孫フィリップはスペインの国王として継承権こそ認められましたが、領土という点では、イギリスがおおくの植民地を獲得する結果になりました。ユトレヒト条約は、イギリスが植民地帝国として躍進する重要な起点とみられています。いっぽうでフランスとスペインは結果的に、イギリス躍進の犠牲となったのです。
ウィリアム・パターソンは、スコットランド出身の商人です。イングランド銀行を創設し、経済学に関する執筆を行い、また不成功に終わったスコットランドのパナマ植民計画「ダリエン計画」に情熱を傾けました。
リチャード3世は、ヨーク家の最後の国王であり、プランタジネット朝の最後の国王でもあります。 12歳の甥エドワード5世を廃位し、自身が王位に就きましたが、ボズワースの戦いでヘンリー・テューダーに破れて落命します。 シェイクスピアの作品「リチャード3世」では醜い悪役として描かれ、そのイメージが後世に残されましたが、実態は少し違ったようです。 リチャード3世(Richard III) 治世 1483年6 […]
アメリカ革命(独立)戦争は「英領北アメリカの13植民地人」と「国王代理の総督府」の間に生じた亀裂が大きくなった結果の、”内戦”としてはじまりました。1778年にはフランス国が植民地人サイドについて参戦してきます。イギリスの内戦であったものが、国家間の対立に発展しました。1781年、バージニアのヨークタウンでイギリス軍が敗戦します。公式の終戦は1783年ですが、植民地人はここで事実上の独立を勝ち取ったようなものです。
ジョンは、ヘンリー2世の四男(早世を含めると五男)です。ジョンは、兄リチャード獅子心王の跡を継いでイングランド国王に即位し、フランスにある広大な領土も相続しました。 ジョンは残酷で身勝手で貪欲な国王であったとされ、物語のなかでは、私利私欲のために諸侯に重税を課した悪王として描かれることがほとんどです。実際には「兄王の遠征と身代金が原因の財政難から出発した治世で、困難がおおいなかで王権拡大を志して失 […]
リチャード・クロムウェルはオリバー・クロムウェルの三男(生存者のなかで長男)です。第二代護国卿に就きました。父とは異なり軍事経験に乏しく、ニューモデル軍からの尊敬と信頼を得ることができませんでした。軍の統制をとることができず、また共和制の復活を求めた人びとによって最終的に辞任に追い込まれます。 リチャードの辞任後、国はわずかな共和制の期間を経ますが、再構成された議会によって国王※が呼び戻されると王 […]
摂政時代 / リージェンシー(18世紀末~19世紀初頭)の社会の序列構造について書きます。国王を頂点として、支配者層には王族と貴族階級そして地主階級が続きます。「ミドルクラス」という階層は1832年以降に使われ始めました。しかしその実態は19世紀の初頭から存在していました。全人口のもっとも多くを占めていたのは…
エドワード2世は、エドワード1世の息子です。カーナーヴォン城で生まれ、1301年にウェールズ大公に叙されました。ピアス・ギャベストンをはじめとする取り巻きの影響を受けやすく、無能で軽薄と評されることが多い国王です。 対スコットランド戦では「バンノックバーンの戦い」で大敗します。スコットランドは勢いを得て、独立につながりました。 治世を通して諸侯の反感を買いつづけたため、王権の縮小や、議会の発展に、 […]
1756年から1763年まで続いた七年戦争は、オーストリア継承戦争がのこした未解決の問題から生じました。まず勢力を伸ばしたいプロイセンと、失地( Silesia )の回復を求めるオーストリアが衝突します。それぞれをイギリスとフランスが援護して、両大国の覇権争いに発展します。
Beau Brummell は、ロンドン社交界のファッションを牽引したひとりです。当時のおしゃれな男性は彼を模倣しました。全ての男性が「ダンディ(dandy)」を目指したわけではありませんが、上流社会においてドレスコードは大切でした。