6世紀~11世紀、暗黒時代、アングロサクソン時代、七王国時代、ヘプターキー、バイキング時代、ノルマン・コンクエスト
アングロサクソン人が「大異教軍」と呼んだこの軍団は、871年にスカンジナビアから到来した「大夏軍」によってさらに増強されました。そしてこののち10年以内に、アングロサクソン人の王国のほとんどが、この侵略者によって陥落させられるのです。867年にノーザンブリア王国が陥落、869年にイーストアングリア王国が陥落、874年~77年にかけてマーシア王国の大部分が侵略されました。王国、学舎、所蔵物、教会が、デーン人の猛攻撃によって崩壊しました。
女性の衣服は、1枚以上の長そでのチュニックと、ペプロス( peplos )とも呼ばれるチューブ状の衣服で構成されていました。チューブ状の衣服はピンで肩に留めて着用します。スカンジナビア地方の洋服を特徴づけるものとして最も有名なのは「エプロンドレス( Apron Dress、trägerrock、hängerock、smokkr)」と呼ばれる衣服です。
793年にバイキングの襲撃があったことが「アングロサクソン年代記」に記録されています。バイキングはリンディスファーン修道院を襲い、修道僧を殺し貴重品や金品を奪いました。この襲撃は「バイキングの侵略」の始まりとして位置付けられています。
ハーデクヌーズは、クヌート大王と正妃エマの間に生まれました。1040年、ハーデクヌーズは、ハロルドが君臨するイングランドに侵攻する予定でしたが、その直前にハロルドが24歳の若さで急死しました。イングランドに上陸したハーデクヌーズは、すぐさま、新国王としてイングランドの人びとに受け入れられました。しかし1042年、ハーデクヌーズは廷臣の結婚を祝う宴会の最中に急逝します。
ハロルドは、クヌート大王と前妻の息子です。クヌートと前妻の結婚はキリスト教に則ったものではなかったので、イングランドにおいてハロルドは婚外子(私生児)という扱いになります。クヌート大王が亡くなったとき、ハロルドはいちはやく自身の王位継承を主張しました。このころ正妻エマの息子であるハーデクヌーズは、デンマークの攻防戦で忙しくしていました。この隙にハロルドは正式にイングランド王位に就くことに成功しました。
ブリテン諸島のバイキング時代は、793年に始まったとされるのが一般的です。これは「アングロサクソン年代記」に記された「リンディスファーン修道院の襲撃」の年に基づいています。現フランスのノルマンディ(Normandy)として知られる地方は、このノースマンらが徐々に侵略し定住するようになった地域です。リューリクなる人物は東へ遠征し、859年にノヴゴロド(Novgorod / Novgorod)に王朝を建てたとされています。
ローマンブリティシュ人が住んでいた4世紀ころから、ケントは度重なる海からの攻撃にさらされてきました。そこでどうやら、ゲルマン語を話す異民族が傭兵として招き入れられて、この地域に住み始めたようです。410年にローマ支配が終わると、さらに新たなゲルマン語系の民族集団がこの地に移住してきました。最初に定着したのはジュート人で、東ケントに王国を築きました。
ノルマンディで四半世紀を過ごしてきたエドワードは、即位すると、廷臣や高位の聖職にノルマンディの人びとを就任させ、身の安全をはかりました。イングランドではクヌートの時代に台頭したウェセックス伯ゴッドウィン家が、政治的な権力を握りました。
ヘイスティングスの戦いに勝利したノルマンディ公ウィリアムは、イングランド国王として戴冠しました。 王位を狙う主なライバルこそいなくなったものの、ウィリアムの支配に対する反乱がイングランド各地で起こりました。ウィリアムはこの制圧に数年を費やすことになります。 ウィリアムがイングランド国王としての地位を確実なものにできたのは、主な反乱の鎮圧を終えた1072年です。ウィリアムは、反乱を起こしたイングラン […]
ラテン語と古英語 中世のヨーロッパではほとんどの書物がラテン語で書かれていました。しかし、ラテン語を理解できるのは、ほぼ聖職者だけでした。 このようなヨーロッパにおいて、イングランドは少し特異でした。書物に古英語も使われていたのです。古英語は多くのひとの話し言葉でした。 書物の多くは聖職者によって書かれたものだったので、必然的に宗教色の強いものが多くなります。しかし聖職者以外のひとが古英語で書いた […]