中世(前期)のヨーロッパの服装【女性編】
女性の衣服は、1枚以上の長そでのチュニックと、ペプロス( peplos )とも呼ばれるチューブ状の衣服で構成されていました。チューブ状の衣服はピンで肩に留めて着用します。スカンジナビア地方の洋服を特徴づけるものとして最も有名なのは「エプロンドレス( Apron Dress、trägerrock、hängerock、smokkr)」と呼ばれる衣服です。
女性の衣服は、1枚以上の長そでのチュニックと、ペプロス( peplos )とも呼ばれるチューブ状の衣服で構成されていました。チューブ状の衣服はピンで肩に留めて着用します。スカンジナビア地方の洋服を特徴づけるものとして最も有名なのは「エプロンドレス( Apron Dress、trägerrock、hängerock、smokkr)」と呼ばれる衣服です。
イギリスが舞台であったり、イギリスに関連すると思われる映画・ドラマを紹介しています。このページは「中世(中期/後期)編」です。ノルマン王朝時代、プランタジネット朝時代が舞台の作品を紹介しています。 モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル Monty Python and the Holy Grail (1974) アーサー王は5世紀頃の伝説上の人物ですが、「アーサー王物語」は9世紀~12世 […]
ヘイスティングスの戦いに勝利したノルマンディ公ウィリアムは、イングランド国王として戴冠しました。 王位を狙う主なライバルこそいなくなったものの、ウィリアムの支配に対する反乱がイングランド各地で起こりました。ウィリアムはこの制圧に数年を費やすことになります。 ウィリアムがイングランド国王としての地位を確実なものにできたのは、主な反乱の鎮圧を終えた1072年です。ウィリアムは、反乱を起こしたイングラン […]
先王のウィリアム1世(征服王)には4人の息子がいました。上からロバート、リチャード、ウィリアム、ヘンリーです。長男ロバートはノルマンディ公爵領と爵位を継ぎ、次男リチャードは若くして亡くなっており、三男ウィリアムがイングランド王国と王位を継いでウィリアム2世となりました※。なお、四男のヘンリーには継承できる土地がなく、お金を相続しました。
ラテン語と古英語 中世のヨーロッパではほとんどの書物がラテン語で書かれていました。しかし、ラテン語を理解できるのは、ほぼ聖職者だけでした。 このようなヨーロッパにおいて、イングランドは少し特異でした。書物に古英語も使われていたのです。古英語は多くのひとの話し言葉でした。 書物の多くは聖職者によって書かれたものだったので、必然的に宗教色の強いものが多くなります。しかし聖職者以外のひとが古英語で書いた […]
父であるエドワード黒太子が祖父王エドワード3世より先に亡くなっていたため、リチャード2世は10歳で即位することになりました。治世の前半は、摂政に代えて設置された評議会が補佐を務めました。 外交においては対仏戦(百年戦争)、内政においては農民一揆や、議会との確執に翻弄される治世でした。親政を開始してからは、平和と秩序を取り戻すべく尽力し一定の効果をあげます。 しかしある時を境に一変し「専制政治」を始 […]
ノルマンディで四半世紀を過ごしてきたエドワードは、即位すると、廷臣や高位の聖職にノルマンディの人びとを就任させ、身の安全をはかりました。イングランドではクヌートの時代に台頭したウェセックス伯ゴッドウィン家が、政治的な権力を握りました。
795年、ちいさなバイキング集団がアイルランドの沿岸に位置する修道院への襲撃をはじめました。彼らは840年からロングフォア(longphorts)と呼ばれる要塞を沿岸に築きはじめ、アイルランドで越冬するようになりました。
先王ヘンリー1世は、娘のマチルダを王位継承者に指名していましたが、甥のスティーブンはこれに従わず、マチルダに先んじて自らが戴冠しました。 スティーブンとマチルダは従兄妹同士にあたり、両者の祖父はウィリアム征服王( William the Conqueror )です。スティーブンは母方からこの血を継いでいます。 1139年にマチルダがイングランドに上陸し、王位を争いました。どちらの勝利ともつかない状 […]
リチャードはヘンリー2世の三男です。16歳にして、兵を率いてフランス内の反乱の鎮圧に成功しており、武勇に優れた人物でした。父王の跡を継いでイングランド王になりますが、国王としてイングランドに暮らしたのは半年に満たず、その治世のほとんどを国外で過ごしました。 イングランドで徴収される諸税はおもにリチャードの軍事遠征に使われました。リチャードは第三回十字軍に参加し、その帰路で捕虜となり、莫大な身代金を […]